So-net無料ブログ作成
バッハ:協奏曲 ブログトップ

リッカルド・シャイーのバッハ「ブランデンブルグ協奏曲」 [バッハ:協奏曲]

ChaillyBachBrandenburg.jpg

 シャイー。これまでの印象は、管弦楽を豪華華麗にドライヴする指揮者。

 『クラシックCDの名盤 演奏家篇』(文春新書)で、宇野功芳氏も同じようなことを述べられている。

 私が持っているのは、マーラーの9番と10番、それにベートーヴェンのミサ曲。

 ベートーヴェンはあまり聴かないが、前二者はたまに手に取ることがあった。

 音楽の背後にある、暗いものとか、深遠なものを音化する、といった姿勢は皆無。

 オーケストラはただただ絢爛豪華で、翳りがなく、特に9番はテンポが遅いこともあって、

 どこかグロテスクな印象を受けた。

 アムステルダム・コンセルトヘボウの音も、渋みやヨーロッパの味わいからは隔たりがある。

 そんなシャイーではあるのだが、実は興味がないことはない。

 というのも、彼の指揮する古典ものを聴いたことがなかったからだ。

 ライプツィヒ・ゲヴァントハウスに移ってからは、ドイツの王道に取り組んでいるらしく、

 このバッハは、古きバッハの伝統と、持ち前の爽やかさと華麗さが見事に調和して、

 新鮮なバッハ像を打ち立てている。

 それまでの愛聴盤は、リステンパルト、リヒター、バウムガルトナーの新盤、それにゲーベルで、

 特に、リステンパルトの品の良さとゲーベルのロックっぷりが好きだった。

 シャイーのは、このご時世で、ギンギン旧スタイル。

 管弦楽の響きはけしてにごらず、「何百年もバッハを演奏してきました、はい。」とでも言うべき、

 味の濃い、底光りする弦、地味で素朴な管楽器が、見事なドイツ・バランスを具現している。

 シャイーらしさは、おそらく、テンポとか風通しの良さなのだろう。

 たとえて言うなれば、ドイツの古い木造の教会に、イタリアの陽光と海風がふわっと入ってきたような。

 そんな感じ。

 第1番、1楽章のホルンの味の濃さ、おっとりとしてはいるが、落ち着いた味わいのある緩徐楽章、

 第2番のトランペットの素朴だが、どこか愉悦に満ちた表情、すべての楽器が自己主張しながら、

 全体に調和していく様、古楽器スタイルにもひけをとらない3楽章の溌剌さ。

 第3番の終楽章では、落ち着いたスタイルで、一つ一つの弦の表情を吟味していく様、

 とにかく、芸が細かく、練り上げられている。

 練り上げられている、といえば、シャイーはとにかくよくスコアを研究している。

 それが功を奏するとは限らないのだが、このバッハでは良い方向に向かっている。

 4番のブロックフレーテは鳩笛みたいだし、ヴァイオリン・ソロの艶やかさには思わず耳を傾けてしまうほど。

 私の好きな3楽章もまずは理想的な再現と言ってよく、表情も自然体。

 5番だけは、大好きなゲーベル盤と比べて、チェンバロの音に煌びやかさが欠ける。

 それでも、どこか伝統と新しさが充満していて、魅力的だ。

 ところで、私は6番が好きではない。

 ヴィオラ主体というのが地味で、この楽器を好まない私としては、暗いのだ。

 しかし、シャイーはどこか明るさや希望があって、愉しく聴きとおすことができた。

 美しいメロディーだなあ、と思わせる。魅力的な音楽だなあと感心させる。

 深い感動を得られるわけではないが、自然体で安心して聴けるスタイルの演奏だと思う。

 録音は、どこか鮮度に欠け、無音部ではホワイトノイズが若干聴かれるなど、それほど良いものではないが、聴き疲れしない素直なもの。

 SACDハイブリッドのほうが、音が良いのではなかろうか。え?出ないの?


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

リステンパルトのバッハ:ブランデンブルク協奏曲 [バッハ:協奏曲]

 これは私の凝り性から来るせいもあるのだろうけれど、私は多様な作曲家に同時に夢中になることができない。一人の作曲家に夢中になり出したら、なかなか他に移ることができないのだ。

 ある冬の寒い日にショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を一曲聴いたことがきっかけとなって、結局ほとんどの曲を聴いてしまい、様々な演奏団体で比較試聴。交響曲全集にも手を伸ばし、バルシャイから始まって、コンドラシン、ムラヴィンスキー、バーンスタインとショスタコーヴィチ祭りをひとりでやっていた気がする。

 ロジェストヴェンスキーが辟易するような録音を聴かせてくれ、ようやくショスタコーヴィチ熱が冷めたのはつい最近のこと。ある作曲家への熱が静まると、またベートーヴェンを聴き出すことが多い。それでも今回は私生活での悩みや体調不良もあり、しばらくの間、音楽も聴かずに過ごし、ぼーっとしていた。

 昨年末に注文していたCDが届いたことで、その日々も終りを告げた。バッハの管弦楽作品集である。カール・リステンパルトの録音集(Accord)であり、最晩年に録音した「フーガの技法」(1966年録音)をはじめとした大バッハの管弦楽作品が揃っている。その中に「ブランデンブルク協奏曲」が入っていた。

 「ブランデンブルク協奏曲」は僕が好きな音楽である。

 古くはバウムガルトナーがルツェルン弦楽合奏団を指揮した演奏(DENON)を愛し、古楽器演奏が市場をにぎわせた時期にはゲーベルとムジカ・アンティクワ・ケルンの演奏(Archiv)を愛聴したものだ。

 特に思い入れがあるのは、バウムガルトナー盤の3番で、これは本当に素晴らしかった。ゲーベルの演奏は遊園地の高速の乗り物に乗ったような爽快感が抜群だった。

 私は特に期待もせずにプレイヤーにセットした。きっと大時代的な演奏が始まるものとたかをくくっていた。

 この体験は、ここ数年で一番驚きと感謝に満ちた音楽体験だった。

 もう、「ブランデンブルク協奏曲」は古楽器演奏でしか生き残ることはできまいなどと思っていた私の耳に、古き良き時代のアンサンブルが華麗に、鮮やかに、そして哀愁すら湛えて流れ込んできたのである。

 リステンパルトの指揮する、このザール室内管弦楽団の素晴らしさには驚嘆するばかりで、セピア色のような録音の古さが気にならなくなるほどだった。

 ゆったりとした優雅なテンポ、どこもかしこも情緒に溢れ、哀愁に満ちた華麗さが光っている。バッハとは何と美しい音楽を書いたのか、と唸らせる。大好きな3番では、あでやかさと天使が舞い降りてくるような優美さにうっとりと聴き惚れ、5番では、チェンバロの美しさに陶然となってしまった。1番での朗々たるホルンの響きの素晴らしさはどうだろう。4番での、ブロックフレーテの哀感はどうだろう。

 併録されている「フーガの技法」も名高い演奏であるが、私はそれよりも、この「ブランデンブルク協奏曲」が手離せなくなってしまった。これは私の宝だ。

 このリステンパルト/ザール室内管弦楽団の演奏を聴いて、体調不良や私生活での問題で精神的にふさぎこんでいた気持ちに光が差し、再び学問への志や音楽を聴きたいという気持ちが蘇った。

 リステンパルトの「ブランデンブルク協奏曲」は、聴く者に「生きる喜び」を与えてくれるように思えてならない。この出会いに感謝したい。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽
バッハ:協奏曲 ブログトップ
メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。