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ウィルヘルム・バックハウスの「音」 [ベートーヴェン:器楽曲]

 私の夢は、英DECCAの倉庫にしまわれているであろう、バックハウスの録音のマスター・テープから、「耳のある」人間が復刻する音を聴いてみたい、というものである。

 芯があって、虹色の光彩を放つ“黄金のタッチ、” ピアノ調律界の名匠・井上清士が理想の整音と絶賛する音をできるかぎり忠実な音で聴きたいのである。

 某大型コミュニティー・サイトでのオフ会で、高級なオーディオ装置によって英DECCA初出のバックハウスの音を聴いたときは、めまいがして、胸がときめきっぱなしだった。

 なんて、柔らかくて、虹のような音だろう!ゴツゴツしたタッチとは別世界の美しい音!

 私が初めてバックハウスの演奏を聴いたのは高校時代で、日本史の先生からお借りしたのを覚えている。辛口の、硬派で、それでいて温かみのあるタッチに、これぞベートーヴェンだ!と感激したことを思い出す。

 あれから、廉価で発売された輸入盤全集(オレンジ色の色調のBOX)を購入したが、音がキンキンとして聴き辛く、先生が貸してくれた国内盤に聴く温かさが何故か感じられなかった。

 それは、その後リマスタリングして発売された国内盤全集でも同じで、どうもユニバーサル傘下にDECCAが入ったあたりから、首を傾げることが続いた。

 先生が貸してくれた国内盤はポリドール盤だった。

bachhausbeethovencomplete.jpg

 これとて、ベストの音質ではないのかもしれないが、吉田秀和氏の評論とともに、詳しい解説を収納し、バックハウスの貴重な写真を散りばめたデザインは豪華だし、紙製のずっしりとしたBOXは今の世にはもはや望めない代物である。

 枕元に宝物のようにしまって、表紙のベートーヴェンのデス・マスクを眺めている。

 バックハウスの全集は、出ては消えを繰り返しているが、あの柔らかくて虹色の音色は再現されているのだろうか?現行のOriginal Masters盤は如何に??


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グードとコヴァセヴィッチのベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集 [ベートーヴェン:器楽曲]

 ベートーヴェンのピアノ・ソナタというと、私にとってはバックハウスのステレオ全集が至上のもので、あとは食指が動かなかったものだが、ポミエの演奏を聴いて、その偏見というか、解釈の多様性みたなものを良い意味で揺さぶられたことがある。

 最近廉価で発売され、人気のあるグルダのものも聴いてみたが、どうにもヒステリックで、バックハウスの落ち着いた淡々とした味わいや、ポミエのふくよかな美しさが恋しくなったものだ。最近、再発売されたチッコリーニも聴いてみたが、干からびたような印象だった(もっとも、録音のせいかもしれない)。演奏は硬派で悪くないのに・・・。

 バックハウス以外の選択肢として私が愛聴する全集は二つある。

 

 ひとつはリチャード・グードの演奏。

 グードは欧米で評価が高く、演奏家の中でもグードを神格化している人があるらしい。たとえば、タカーチ四重奏団は弦楽四重奏全集を録音するとき、グードのベートーヴェンをずっと聴いていたそうだ(『レコード芸術』のインタビューより)。

 演奏は、「告別」のフィナーレ冒頭の軽さが気になったくらいで、どれもこれもゆったりとしたテンポで心地よい。ピアノの音色も透明だが、楽器を感じさせず素晴らしい。

 そうかと思うと、「月光」のフィナーレのように唖然とするほどの超絶するテクニックが現れる。

 難点は録音が今ひとつなことか。どこかぼやけた音であり、グードの迫真的でスケール雄大な演奏をマイクが拾っているとは思えない。どこか演奏を小さくまとめすぎている感がある。

 そして、もうひとつはスティーヴン・コヴァセヴィッチ。

 

 グードのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を買うときに、コヴァセヴィッチと迷っていた。グードを買った理由は、すでに若手芸術家から神格化されはじめ、また、各種HPで絶賛されているのを目の当たりにしたからだった。

 グードのタッチはソフトであり、伝統的なベートーヴェン演奏にしっかり従って、細工を施さずにただひたすら愛情をこめて演奏している。望めるものならば、今一歩録音に冴えが欲しいこと。さらに、もう一つ言わせてもらえれば、「模範的」という言葉以上に何か突き抜けた魅力が欲しい気持ちもある。

 そんな折、コヴァセヴィッチを聴いて、軽いショックを覚えたのは記憶に新しい。

 何てダイナミックス・レンジの広い演奏をやる人だろう、初期・中期・後期お構いなく、ただ一途に意志の力をこめた強靭な打鍵ときらめくような高音の美しさでもって演奏していく。スタインウェイの青白さすら感じさせる美音が魅力を倍加させている。もっとしっとりと、おだやかな歌が恋しい・・・。そんな気持ちになるほどに。それは「田園」を聴けば明らかであろう。

 しかしながら、コヴァセヴィッチを聴いた後、女性的と言っても良いほどの美音で親しみやすさを感じたポミエを聴いた時、コヴァセヴィッチの物凄さに開眼したわけ。

 ポミエのピアノはとても丁寧で、美しい。踏み外すほどの強靭な打鍵などない。しかし、あれだけ柔らかいソノリティーだと思っていた彼のピアノが何とも鈍く単調に聴こえるのだ。

 コヴァセヴィッチの魔法はそのダイナミックス・レンジであろう。ピアノを弾いてオーケストラを体現していると言ってもいいくらい。物足りないと思っていた弱音の響かせ方や、緩徐楽章の柔らかな奏し方、そうしたものが綿密な設計図に乗っ取って行なわれており、何気なく聴き逃していた部分がより凄く聴こえる。

 コヴァセヴィッチは新感覚なのか。伝統的な価値観は崩れ去り、もっと歌ってほしい部分も一抹のポエジーのように漂うのみ。

 コヴァセヴィッチの全集中では、「悲愴」、「月光」、「熱情」、「告別」、作品109、作品110、作品111を私は愛聴している。

 作品110の最後など、壮大な天国の門の伽藍を見るよう。難解な「ハンマークラヴィーア」も楽しく聴ける。

 「ワルトシュタイン」のロンドはちょっと構造的すぎ、「田園」はもっと穏やかな情緒も必要かと思われる。彼の場合、情緒とかそういうものとは完全におさらばし、スコアの透徹した読みだけで勝負している気がする。そういった意味で、お腹いっぱいにしてくれるのだ。
 
 しかし、これらの全集を聴いても、懐かしく思い出されるのはバックハウスの演奏である。


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