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ラトル/ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲全集 [ベートーヴェン:交響曲]

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安いとは言えない豪華愛蔵版仕様のベルリン・フィル自主制作シリーズに、サイモン・ラトルのベートーヴェンの交響曲全集が加わった。

来日公演のチケットの販売方法やら価格に関わることまで、SNSでは批判や辛辣なコメントもあるが、演奏が良ければ私は許す。

まず、録音。十分に合格点。しかし、今一歩、解消度の高い生々しい音の録り方はできなかったか。アーノンクールのシューベルトのほうが音楽的で良い。あれは、ベルリン・フィルによる録音ではなく、Teldecによるものだったからか?何となく、オーケストラの音がホールトーンに影響されているように感じる。

ラトルがやりたいこと、ベルリン・フィルが表現していることが、時にもっさりとした印象で聴こえてしまう。レコ芸では「透明感を増した」とあっだが、ウィーン・フィルとの旧全集の方がもう少しクリアーだ。

演奏。誰もまだ批評していないので、結構マニアックに書いてみよう。

ベルリン・フィルの音は、もはや無国籍の肥大気味なヴィルトゥオーゾである。アバドが振ると、流麗なのは良いが、そこにコチコチした硬さが出る。ラトルはふっくらと鳴らす。音色はシルバー系に、ほのかな温かみがある。冷たい音にしないのが力量の高さを伺わせる。

肥大した図体に、禁止薬物(ドーピング)を打つことによって普段ないパフォーマンスを生み出させるようなのが、1番、2番。特記するほどの珍しい演奏表現ではないが、オーソドックスで、ティンパニを雄弁に鳴らした小気味良いスタイルだ。一番のメヌエット、終楽章など、キリッと引き締まっていて、機敏。

3番。冒頭の号砲2発は、ウィーン・フィルとのが命がけの名勝負だったが、ティンパニは柔らかめ(マレットを変えている?)で、全体としても推進力がありつつも、柔らかく穏当な印象。

ラトルはアゴーギクやデュナーミクを駆使し、変わった楽器間のバランスを出しているが、オーソドックスな解釈の中に新味が混じったようで、1楽章は、最初聴いた時は、素直な感動にはつながらなかった。コーダなど、あざとい。それでも、どんどん音がうねるようにドラマティックになっていくし、2楽章には真摯な訴えがあるし、4楽章もおおらかで健康的な変奏の流れができていて、さすがだなと思う。

聴いていて、何だか楽しいな、と感じた。

そうなんだ。健康的なベートーヴェンで、深刻さや哲学的な深みは感じないのだ。でも、楽天的とはまた違う。不思議と楽しい。それは、奏者も刺激を受けながら、楽しんで演奏しているからだろうか。

4番、5番、7番、9番は、特に出来の良い演奏だろう。4番はアタック一つとっても、攻撃的であり、推進力の強さもあって、有機的な響きがいつも鳴っていることに安堵する。終楽章はクライバーを意識しつつ、さらに新たな何かを生み出さんとするクリエイティブな姿勢を見る。

5番は、ウィーン・フィルのも名演だったが、もはやピリオド・スタイルなど微塵もない、現代楽器によるベーレンライター版での巨匠的演奏として完成している。ハイティンクのSACD全集も良かったが、あそこまでティンパニが下品にならないところに、趣味の良さを感じる。1楽章コーダも強弱の波は大人しくなり、フィナーレは抜群にエスプレッシーヴォ。

7番は、ラトルにはいまいち相性が合わない曲だと思うが、終楽章は随分手練手管を駆使して、苦手なリズム感を我が物とせんとする意志の強さを感じる。

7番には、田園交響曲に通じるベートーヴェンの晩秋の魅力があると思うが、ラトルの解釈はひたすら闘争的であり、音に濁りを感じせるくらいにマッシヴである。ステロイドを打って巨体を俊敏に動かそうとする感がある。

田園交響曲は、さして感心しなかった。ちょっとした細部のこだわりが、音楽の持つ魅力を底なっているように思うし、ベルリン・フィルの音がそれほど美しくないというか、贅沢な不満かもしれないが、暑苦しい。

9番は、ラトルの十八番なのだろう。1楽章もスケール感があり、ダレることない雄渾の演奏で、打楽器も金管も気持ち良くなる。主題掲示がやや流線型になった印象があるが、再現部冒頭の凄まじさが吹っ飛ばしてしまう。

2楽章も雄弁で、リズム感も良い。3楽章はやはりテンポ指定を無視して、ゆっくり歌う。これでいいのだ。やりたいようにやりたまえ!

4楽章、金管を最後まで吹かせているように感じたが、スコアを変えているかしらん?7番ではコントラファゴットを加えているくらいだから、さもありなん。

オーケストラだけの部分は雄弁で、歓喜主題の盛り上げも、ウィーン・フィルのときのちゃっちい印象がなくなった。イワシェンコはなかなか良い声質だが、やはり若干アドリヴを加えている。今流行りだからねー。

コーラスは、バーミンガムの合唱団と違って、品が良く穏やかで、語るより歌う。ただ、プレスティッシモで、女声にヴィヴラートがかかるのが残念だ。

解釈は旧全集と変わらないが、今回の演奏では、変わった表情付けがかなり目立たなく展開されている。それをラトルの円熟と見るか、変節と見るか?

さて、二重フーガのリズム感も良く、Bruder!の雄叫びも相変わらず。コーダでは、いつも通り「イリージウム」のあとにアッチェレランドを加えたあとに「フロイデシューネル、ゲッテルフンケン、ゲッテルフンケン」と持って行き、オーケストラだけのラストのテンポはゆっくり目。ただし、大太鼓、シンバルの音の打ち方には新しいこだわりがある。

満足か?と問われれば、面白かった。
名盤か?と問われれば、話題作。
買って良かったか?と問われれば、然り、と答えよう。

諸手を上げて絶賛する批評家があるなら、ラトルの解釈のひとつひとつの妥当性をつまびらかにした上で、読者を説得せねばなるまい。その意味では、私には諸手は上げられぬ。

一音楽ファンとして、十分に楽しめた。映像も楽しみ。ハイレゾもいいが、CDの音も悪くない^_^


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永遠のスタンダードへの希求 [ベートーヴェン:交響曲]

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ベートーヴェンのシンフォニー好きならば、一度は「何度聴いても飽きがこなくて、全9曲がムラなく優れた録音の良いセット」を探したことがあるのでは?

私もこれまで何十組のセットを聴いたかわからないけれど、解釈、演奏、録音の三拍子そろったお気に入りは数が少ない。どれか一曲でも気に入らない場合には、全集としての統一した美しさはそこで終わりとなる。

今までで自分が(全集として)良いと感じたものを厳選すると、

クリュイタンス/BPO
ブロムシュテット/SD
ワルター/Columbia
イッセルシュテット/VPO
ヨッフム/ACO
ベーム/VPO
カラヤン/BPO
ヴァント/NDR

なんだ、フルトヴェングラーもトスカニーニも入っていない、シューリヒトもいないじゃないか、と思われるかもしれませんが、どちらもモノラル。演奏がどんなに良かろうが、もう失格。

この中からさらに絞り込む。減点方式でいくと、クリュイタンスは曲により録音の限界を感じさせるので、さようなら。8番は音に芯がないし、9番はとくに終楽章で録音に問題あり。SACDの音質も、最終的な作業は杉本一家氏の手によるものだが、どうもエソテリック・サウンドでのっぺりしていないかな、など。

ブロムシュテットは、輸入盤とキングのハイパーリマスタリング盤があるが、前者は残響を付加させ、後者はそれがなく音が乾燥している。どちらも悪くはないが、演奏本位ならやや食い足りない。

ワルターはもちろんステレオだが、第9だけがどうしても気に入らない。他は素晴らしいのだが、、、。ごめん、ワルター。

第9がダメと言えば、ヴァントもダメだ。とくにソリストがひどすぎる。完璧主義者のヴァントらしからぬ、詰めの甘さ。そもそも第9が嫌いなようだ。1楽章からして、共感が薄いようだ。

ベームのは、エロイカのティンパニの音程。調子外れの音で不協和音になっている。1楽章がとくにひどい。これだけが残念。もしこんなことがなければ、ベストの一つだろう。

カラヤンのは70年代の、彼としては3度目のものである。60年代のはエロイカが凡演だし、80年代のは戦車が勝手に動いていて制御できていない。やはり、70年代の豪華さは気分爽快。深刻な哲学なんてないよー!ってなくらい、カッコイイベートーヴェン。けして悪い意味ではない。こんな素晴らしいかっこよさは、唯一無二だ。

さて、残ったのは、イッセルシュテット、ヨッフム、カラヤンとなった。

イッセルシュテットのは、全曲淡麗。アナログなので、いささか音質は乾いてるし、録音も古くノイズもある。でも、VPOの良いアンサンブル、合唱の見事さ、ソリストも優秀で、やはり捨てられない。ヨッフムのは、国内盤ではなくてOriginal Mastersシリーズの輸入盤で聴いて欲しい。音が生々しく、コンセルトヘボウの優秀な音が楽しめる。

さて、この上はデジタル録音にある。それが、ハイティンク/ACOである。かって、音楽評論家・宇野功芳氏に「愚鈍の極み」と言われた男、ハイティンク。

しかし、近年のベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の超名演といい、youtubeに観る円熟の名演の数々にしびれ、「レコードなんとか大賞」をとったが「スルメのように」穏健なベートーヴェンと言われるACOとの全集も聴いたわけ。

これだけオーケストラが調和し、あらゆる音が美しくホールと共に鳴る、雄大なベートーヴェンがあったろうか。コンセルトヘボウの音は銀色に輝くような弦が美しく、ホルンも渋く夢に聴くようで、木管と金管のアンサンブルの心の通わせ方、ティンパニストの芸術的音楽性に惚れ惚れする。単なるリズムやアクセントを刻む楽器ではなく、音楽として響くのが素晴らしいのだ。

情報量も豊かで、細かい内声まで良く聴こえる。西ドイツ製の輸入盤ならより鮮度があって、生々しいサウンドが楽しめ、再発のドイツ製の箱ものなら音が円く溶けあった芳醇な響きを楽しめよう。デッカのレーベルになってからではなく、フィリップス表記でのものを選びたい。

第9のソリスト、ルチア・ポップ、ロベルト・ホル、ペーター・シュライアー、いずれも見事。合唱団も厚みあり、まずは最高だ。

長い間聴かなかったのが情けない。でも、だからこそ今、この価値がわかるのかなあ?




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功芳の「第9」 [ベートーヴェン:交響曲]

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宇野功芳(演奏の感想のため、敬称略)とは、私が十代の頃、文通をしていたことがあります。ハガキに独特の青いインクの万年筆で、読みにくい文字(若い時分にはそう感じた)が懐かしく思い出される。

私は若造だったし、様々なことをぶつけたのを記憶している。初めてお会いしたのは、新星日本交響楽団とのラストリサイタル。弟さんが亡くなり、そんな時期のコンサートだったが、握手して感想を書いたものをお渡ししたのを思い出す。

私は、音楽評論をする人の指揮で満足したCDは一枚もない、それは宇野功芳の場合でもそうでした。最近では福島章恭によるブルックナー、バッハの「ロ短調ミサ」も、ごめんなさい、という感想。モーツァルトのピアノ・コンツェルトは例外として(これはピアニストが素晴らしいのだ)。

さて、宇野功芳85歳の第9。できるだけ素直な感想を簡潔に。

エクストンのパッケージがおかしい。おそらくジャケットになるものが、ケース裏面になり、ジャケットは収録内容に。あべこべだ。裏返すと、白黒の宇野功芳の肖像。むーん。これは私のだけ?

録音はたっぷりとしていて、いつものエクストンの豊潤な音。オーケストラは優秀で、これは宇野功芳の解釈というよりも、奏者たちの技術の素晴らしさに感銘を受けた次第。

演奏について。これまで新星日本交響楽団、アンサンブルSAKURAのCDを耳にしたが、「解釈」という点ではこれが最終結論なのだろう。完成度は高い。

基本的な方向性は変わっておらず、長大な一楽章、再現部の巨大なデフォルメ、終楽章のフルオーケストラによる序奏部の歓喜主題のスローテンポなど、相変わらず。

ただし、オーケストラの技術が優秀であり、そしてまた、ソリストも合唱も優秀なため、これまでのCDで感じた違和感や恣意的な印象がかなり薄い。一楽章は、好き嫌いはあろうとも、一度は聴いておきたい表情付けが多いし(色々考えさせられた)、テンポが伸縮自在ながら、打楽器の強打や金管の迫力など、メンゲルベルクみたいだ。2楽章は快速で、新星日本交響楽団とのライヴよりもずっと自然。トリオはホルンといい、弦といい美しいし、三楽章は速いテンポでよく流れ、偏見なく感動しました。美しい!終楽章は前記のような部分があるとは言え、最後のプレスティッシモに至るまで熱い。さすがに、フルトヴェングラーほどの大爆発にはなっていないが(ご本人もライナーノートで「小爆発に終わってしまった」とある)。解釈のいくつかで疑問はあるものの、これは名演だと思います。

オンリーワンの演奏だろう。第9のベスト盤にはならないが、新しい第9像を見せてもらった演奏だ。

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2015年8月、kitakenのベートーヴェン生活 [ベートーヴェン:交響曲]

2015年9月3日、kitakenの現時点でのベートーヴェンの愛聴盤(交響曲部門)

大修正あり(約2年ぶりの改訂にあたって) 

かつて、私は「ベートーヴェンの交響曲愛聴盤選びの旅も終わりに近づいた」と書いた。

それもそのはず。ん十年クラシックを聴いていれば、好み嗜好は決まり、新譜が出ても、それは曲がらないものだ。だが、新しい発見がないのは困る。発見のない日々はルーチンで、音楽鑑賞には創造の悦びがなくなってしまう。

「今お前にとってのベスト盤を選べ」、と尋ねられたとしたら、今の私はこう選ぶ。願わくば、日々変化したいものである。

*以下は、現時点での「愛」聴盤の記録である。

交響曲第1番

フルトヴェングラー/ウィーン・フィルのスタジオ録音以外に愛聴盤はない。ブリュッヘンの再録音、インマゼール、ヨッフム/コンセルトヘボウ、ワルター/コロンビア響を聴いてもやはりフルトヴェングラーが一番好きだ、と感じる。

フルトヴェングラーの演奏からは、ベートーヴェンの第一作シンフォニーから、濃厚なウィーンの味やロマンを感じるのである。

SACDで、良い音で聴けるようになったことも大きい。シングルレイヤーはもっといい音。ところで、4番と6番、どうしてシングルレイヤーにしてくれないのだろか。版権がワーナーに変わったから、もう望み薄だろうか?

もっとも、どんなに音質が良くなろうとも、録音はモノラル。どこか「ゆですぎたうどん」(内田光子)のような芯のない音は、慣れるまでに抵抗があるが・・・。

聴き直してみても、フルトヴェングラーのは、ただのSACDよりも、SACDシングルレイヤーで聴きたい。まるで音の締まりが違う。

交響曲第2番

シェルヘンの最晩年のライヴが好きだったが、今はワルター/コロンビア響に手が伸びる。

クレンペラーもいいのだが、シングルレイヤー化されてもそれほど音質が向上している気がしなかった(装置については記事をご参照ください)。

録音の良さ、瑞々しさもあって、ワルターの音楽が真に迫り、心が広々として豊かになる。

二楽章が絶賛されることが多いが、私の場合は終楽章の造形感覚のほうが好きだ。

堂々たるテンポといい、瑞々しい音といい、音楽がいつも新鮮でベートーヴェンの若々しさが感じられるばかりか、胸が広々と膨らむような勇気を与えられる。

コーダのティンパニの一打ち一打ちは威厳があって、本当に決まっている。他の演奏はどれも食い足りない。  

交響曲第3番「英雄」

フルトヴェングラーはちょっと録音の古めかしさをSACDでも感じてしまう。

今ならワルター/コロンビアのステレオ録音クリュイタンス/ベルリン・フィル盤を挙げたい。

まず、クリュイタンス。一楽章の冒頭はcrispである。昔、この曲の冒頭は団子状の弾音ではだめで、炸裂するような衝撃でなくてはならない、と言っていた方がいた。私も同感で、最悪なのはハイティンク/ロンドン・フィルである。クリュイタンスの棒は颯爽としていて、ベルリン・フィルはまだフルトヴェングラー時代の厚みと温もりを残していて見事である。決めどころで金管打楽器はがっしりと決まっており、聴いたことのないようなバランスもあって感銘も深い。二楽章も立派な表現だし、スケルツォのトリオのホルン、終楽章コーダのホルンは、音を割った実在感のある響きでフルトヴェングラー以来。録音は初期ステレオなので混濁することもある。アンサンブルだって乱れる。構うことか。私は88年に出た国内盤のBOXで聴いていたが、2015年にタワーレコードがついにSACD化してくれた。中低音が充実して、剛毅な貫禄が鮮やかに蘇っている!

ワルターはもっと牧歌的で、よく歌うし、瑞々しい。スケルツォのトリオのホルン。終楽章の変奏も善に満ち溢れていて、少しも現実的な悲劇がなく、素晴らしい。ワルターのもSACDにしてくれないだろうか。 

楽器系なら、ブリュッヘンの再録音盤が(録音は独特の音質だが)印象に残る。熟練した剣豪の無駄のない動きのような気迫がある。 終楽章のコーダで加速するのは、インマゼールもそうだけれど、音楽をつまらなくしていると思う。楽譜がどうだろうと、音の連なりが全体のコンテクストでどう生成するかを反映させなければダメだ。音楽というのは生き物なのだ。指揮者は「生き物係」なのだ。「ありがと〜って伝えた〜くてぇ〜」、だからこそペトレンコがベルリン・フィルのシェフになったのだ

第4番

クレンペラー/ウィーン・フィル

贅沢な不満なのはわかっているが、最新録音をあれこれと聞いていると、高音の抜け、色彩感覚が弱く感じる。Testamentのリマスタリングを信用していないのだが、我慢するしかあるまい。こんな大聖堂の伽藍のようなベートーヴェンは他にあるまい。朝比奈/新日本フィルもオススメしたい。 

昔、高校生の頃、田園とカップリングされていたワルター盤があって、本当に聴きながら幸せでした。

で、聴き直してみたら、やっぱり素敵だった。でも、ワルターのベスト・フォームではないのかもしれない。

ムラヴィンスキーも良いが、ALTUSのリマスタリングが音を漂白している。

それから、クライバーのライヴ。「酔っ払い男が耳元で絶叫している感じのライヴ録音」、などと思っていたが、、、SACD化されましたね。前言撤回をし、今は好きな盤となりました。

第5番

2013年8月21日(水)東京芸術劇場にて、広上淳一氏の棒で読売交響楽団による3大シンフォニーの夕べを聴いた。「運命」を聴いて、これは素晴らしい指揮者だと思った。「未完成」も、「新世界より」も良かったけれど。

何が良かったかというと、終楽章のテーマを高らかに、パンチするかのような動作をして鳴らしていたところ。胸がすっとしたのだ。CDは出ていない模様。

これまではフルトヴェングラーやクレンペラを愛聴していたが、今はクリュイタンス/ベルリン・フィルのSACD、カラヤン/ベルリン・フィルの70年代の全集中の一枚を聴いている。 

まず、カラヤンは素晴らしい!70年代の全集の完成度!音にエネルギーが満ちていて、音楽もうねるようで、物凄い洪水のように音符が押し寄せてくる。カラヤン美学の精華なのだろうが、とにかくたっぷりと弦が鳴り切る。そしてエスプレッシーヴォだ。聴いていて、豪快になる。SACDシングルレイヤー化希望。

前者は異論もあろうが、フルトヴェングラー的な音のドラマを感じる。ベルギー人のフランス音楽指揮者のやるベートーヴェンと高をくくっていたけれど、とんでもない勘違い。物凄い演奏ですね。一楽章の緊迫感と重厚さ、終楽章の金管の圧倒的な感じ。。。コーダに至るまで感銘を受けっぱなし。フルトヴェングラー級。嘘じゃない。

もう一つ。ブルーノ・ワルターのステレオ録音、SACD盤は、運命の力強さよりも、どこか悟りの境地のような感銘を受けた。

よく指摘されるのは、運命動機の一回目のフェルマータが長く、二回目が短いこと。実は自筆譜は、、、という興味深い説が、宇野功芳編集の「ブルーノ・ワルター」に掲載されている。興味深い本なので、ご一読されては?

第6番

ワルター/コロンビア響のスタジオ録音(SACD盤)を。

これは本当に美しい。本命はフルトヴェングラーなんだけど、モノラル録音はよっぽどでないと、今は聴きたいと思わない。

ベーム(DGの全集)も良いですが、これ、SACDにしませんか。バーンスタインより先にして欲しかった。質実剛健と言った感じがあって、日本ライヴよりも好きなのです。ウィーン・フィルが引き締まった音を出しながら、けして情緒を失わず、品格で輝いている。凛とした気合をくれます。

ワルターのSACDは永らく入手不可だったが、他の全ての曲もぜひにお願いしたい。

実は、「田園」を聴く機会というのは、自分の生活の中ではあまりない。9曲の中では、1番と「田園」、それに8番が一番聴かない印象です。

第7番

クレンペラー/フィルハーモニアが座右の一枚。一楽章のアンサンブルの充実した響き、仰ぎ見るようで立派。序奏部の長い弦の歌。澄み切った青空のような風情も染みる。終楽章は遅いテンポでうねるよう。こんな演奏、他にはないです。クレンペラーのはSACDシングルレイヤーがひどいリマスタリングなので、CDで聴こう。昔のCC30-3272/7がおすすめだ。

しかし、こんな音楽なのかな、という思いがいつも頭をよぎるのも事実。クレンペラーは、ウィーン・ライヴ(ALTUSのSACD盤、CDとはリマスターが違います)と共に座右に置きながらも、他のも楽しんでいます。

録音は本当に惜しいが、フルトヴェングラーの対戦中の演奏(仏フルトヴェングラー協会盤、CD番号にRのない旧盤)、ウィーン・フィル(フルトヴェングラー・センター復刻の桧山コレクションCD-R)はもう人間国宝の芸術作品だ。本当は、録音さえもっと鮮度がよければ、フルトヴェングラーを選びたいのだ。「英雄」も「運命」も。

だから、カルロス・クライバーのバイエルン・ライヴは、SACDでもあり、ライヴのスリリングさもあって、代替品。

第8番

ヨッフム/コンセルトヘボウ。弦が美しい。そして解釈も素晴らしい幸せな音楽の、幸せな演奏である。ウィーン・フィルのような甘美さや、ベルリン・フィルのような豪快さはないが、コンセルトヘボウの音にはどこか銀色にきらめくような音色と艶があって、渋いけれど味わいを感じるのだ。そして適度な完熟の旨味。

リマスターして、SACDで出してくれたら!と願うのみである。

第9番

ペーター・マーク、パドヴァ・べネト管を聴くと、高校時代、氏が都響で振った第9を思い出す。

有名な指揮者による初めての第9体験だったし、これまででも一番良い思い出である。

第9は様々な指揮者がこぞって録音しており、皆それぞれの秘術を尽くして録音しているのであるから、皆聴く価値があると思っている。愛聴盤は頻繁に変わる。「年末の第9」はもはや日本文化だが、朝比奈隆が日本人なら一番好きだ。

ミサ・ソレムニスとのカップリングの新日本フィル盤。宇宿允人の第9も次いで好きだ。このブログで取り上げたことはないのだが、別のところでちょっとした記事にしたこともあるくらい(MUCD-013)。

海外に目を向ける。クリュイタンスとベルリン・フィルによる演奏は良い。ステレオ初期故の録音で大分損をしているかもしれないが、素晴らしい演奏、解釈である。終楽章は合唱もすばらしいし、録音もなんだが混濁したり、アンサンブルもごちゃついたりしているが、迫真的で良い!パワーがある。SACDになってもあまり改善はされなかったけど!←それな。

それで、今の愛聴盤だが、クレンペラーとフィルハーモニア管

スタジオでのセッションで、あまり評価されないが、よく磨かれた石の建造物のような一楽章。そこに木管が思いのほか思い入れたっぷりに奏するフレーズ。二楽章の天国的なホルン、打楽器の意味深さ。三楽章の慈悲に満ちたしみじみとした風情。過度に情緒的にならないところが良い。終楽章は、出だしから気合いがなく、ホッターのソロも良くない。合唱もステレオ・ライヴのほうが清澄で良いが、色々な音が聴こえてくる演奏はこれがベストか。色々な意味を感じさせるのである。ウィーン・ライヴはその完成形で、ステレオで聴きたかった。なお、クレンペラーのベートーヴェンのセットを聴くなら、CC30-3272/7からのセットがおすすめです。


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ヘレヴェッへのベートーヴェンを聴く [ベートーヴェン:交響曲]

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  ヘレヴェッへという指揮者については、これまで大きな関心はなかった。

 この人は古楽器演奏のスペシャリストであって、バッハの宗教音楽を中心的なレパートリーとする人というイメージ。

 オーケストラ指揮者というよりは、合唱指揮者というイメージが強い。

 モダン・オーケストラの音楽監督(王立フランダース・フィル)になって、ベートーヴェンの交響曲全集を完成させていたことは知っていたが、よもや自分が身銭を切って購入することになろうとは・・・。

 SACDの音がすっかり好きになり、SACDのベートーヴェンの交響曲全集を探していたのである。

 往年のアナログの名盤たちも良いが、できれば最新録音で、まざまざとリアルな音質を聴いてみたいではないか。

 どうせなら、今まで聴いたことのないような、斬新なものが聴きたくなった。

 amazonで試聴してみたところ、思いのほか迫力があり、なおかつ学究的なスタイルが鼻につかない。

 さりげなく楽器のバランスや、細部の練り上げによって生きてくる表情に魅力があり、

 一つ一つの音がピチピチとしていながら、穏健な音楽になっている。

 これはヘレヴェッへの作り出す音楽美なのであろう。

 インマゼールやブリュッヘン、ガーディナーやアーノンクール(ノリントンはちょっとあざといかな)も良いけれど、

 彼らの演奏にはベートーヴェン以上に、演奏家の顔かたちがはっきりと見える。

 ヘレヴェッへの場合には、音楽の自然な美しさに目が(耳が)奪われる。

 1番。一楽章の有名な序奏はすっきりとしていながら、テンポはぐっと踏みしめられ、打楽器の音が心地良い。

 主部に入っても快速なテンポで金管が音を割って飛び出すものの、心地良さには変わりがない。

 スケルツォの快活さ。打楽器は強打されても、野蛮さはなく、粗野でもない。

 どこかに洒落っ気さえ漂う上品さ。

 3番も名演だ。曲想にえぐりが効いており、一楽章は雄渾かつスケールの大きさを感じさせてくれる。

 終楽章の変奏のドラマには、古楽器スタイルとモダンオーケストラが生み出す音のドラマがある。

 フレッシュでありながら内容がいっぱい。久しぶりに大満足した。

 4番と7番はアグレッシヴな解釈と言えるだろう。

 打楽器や金管が激しく自己主張し、荒れ狂うベートーヴェンになっている。

 テンポはせかせかとした印象はなく、やはりハーモニーの隅々にまで目が行き届いている。

 荒れ狂うドラマの中にも、ちょっとした細部に耳を澄ませると、聴いたことのないような楽器のバランスや表情があって美しい。

 5番はすっきりとした快演で、終楽章のテーマが軽やかで、こってりとした感じがない。

 さっぱりとして物足りないかというと、けしてそんなことはない。

 コーダに近づくにつれて、やはりベートーヴェンはすごい、と圧倒されるのである。

 6番は弦の表情が美しいし、テンポが速くても情緒は失われていない。

 3楽章の農民の踊りや、4楽章の嵐では音が汚くならず、きちんと音楽が鳴り響く。

 後者は特に威厳を感じさせるあたりが、ベームとかフルトヴェングラーと親和性があろう。

 9番のみ残念だ。

 どうも録音が良くない。

 合唱を過不足なく収録するために、オーケストラの音の迫真性が損なわれ、きれいごとになりがちだ。

 ティンパニも軽いし、肝心の解釈も自然な流れは良いものの、引っかかるものが弱い。

 冷静に聴けば美しいのだが、第9とは美しいだけの音楽ではないので、ヘレヴェッへの解釈では物足りない。

 もっとも、これは録音のせいかもしれないが。大分音量を上げても、物足りない。

 どうにもテンションが低い気がするのは、私だけだろうか??

 全集だけの現象だろうか。一枚ものでは大丈夫?うーむ。

 ということで、ヘレヴェッへには今後も期待したい。ミサ・ソレムニスも名演だったよ~。

 フリエンド(フリエント?)も聴いてみたいところ。もう、聴いた?


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