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シベリウス:交響曲 ブログトップ

ブロムシュテットのシベリウス [シベリウス:交響曲]

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オッコ・カムのシベリウスを聴いてから、いろいろな演奏を聴き比べました。
今の私にぴたりとくるのは、やはりベルグルンドの三回目のセット、ヨーロッパ室内管弦楽団とのものです。
改めて大好きな5番、6番を聴きましたが、他を聴いたあとだと、「え、こんなに?」というくらい細かいところまで徹底的に、ニュアンス豊かで、それでいてダイヤモンドダストのようにキラキラと輝き、透明感満載です。ヘルシンキとのは、逆に雑に感じ、オッコ・カムのはおっとりとした魅力はあるものの、透徹さにおいて何歩も譲るように思いました。インキネンやデイヴィスも素晴らしいのですが、前者にはさらなる円熟、オケの技術のレベルアップという良い意味での課題克服がこれからも期待され、後者には寂しい美しさと楽しさが足りません。でも、聴き比べてはいけませんね。
ブロムシュテット。6番1楽章冒頭の弦のヴィヴラートが感傷的すぎて、ちょっと抵抗がありますが、5番などはベルグルンドに肉薄するパワーがあります。
録音も良いですね。各楽器のソノリティがよく味わえます。
末期がんで認知症の父は一度危篤になりましたが、食欲はないものの、呼吸不全と苦しみながら、生きるため戦っています。近く療養病院に移ります。こんな時期、何故かシベリウスが最近身にしみるのです。
私にも持病があり、大学時代から耳鳴りに悩まされています。アレルギー性鼻炎、副鼻腔炎による耳管狭窄、それに伴う耳鳴りです。気のせいか、ひどくなった気がしています。
音楽を楽しめる今を、大切にしたいと思います。

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オッコ・カムのシベリウス、交響曲全集 [シベリウス:交響曲]

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シベリウスといえば、パーヴォ・ベルグルンド。これさえあれば他はいらない、というくらいの決定盤がヘルシンキ・フィルとのセットです。

ヨーロッパ室内管弦楽団とのセットも魅力的ですが、さすがに3度目となると、もはやベルグルンドの極めた世界となり、ちょっと迂闊には聴けないし、集中力が必要です。

ライヴで魅力的な演奏を聴かせ、シベリウスにはまだまだ可能性があることを教えてくれたのがインキネン。これは以前のエントリーにも書きましたね。

ここのところ、シベリウスによく耳を澄ませます。

私は5番の1楽章が好きで、とくにベルグルンドとヘルシンキ・フィルは良かった。愛聴盤です。

コリン・デイヴィスとロンドン響のSACDも荒々しく、魅力的だし、インキネンもスケールを感じさせるので魅力的ですが、ベルグルンドのはもっと自然を感じます。

そんなとこに、オッコ・カムとラハティ響のSACD全集が登場。これが本当に、「心の嵐」のような寂しさと香りがあって、大変気に入っています。テンポがゆったりとしていて、コーダは盛り上がるだけでなく、寂しい明るさが溢れます。

音質も、ひんやりとした空気感を感じさせるもので、6番の終楽章の終結部分など、ちょっと言葉にはできない美しさでした。

まだまだ聴きこめてはいませんが、ベルグルンドとは違う魅力を発見しました!

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インキネンのシベリウス交響曲全集(日本フィル) [シベリウス:交響曲]

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長いこと、2年近くブログを更新していなかったので、突如書き込みを見てびっくりされている御仁もおられるかもしれません。以前から閲覧くださった常連の皆様、お久しぶりです。家族の介護で大変ですが、音楽はいつも友でした。

ブログを更新するのを一休みした理由は、「馬鹿らしくなった」ということです。

はじめは感想のつもりでしたが、好き嫌いを書き出すと、どうも評論家ぶった書き方になる。つまらない趣味でした。それに、強烈な影響のある宇野功芳氏と似た感想を書けば、通りすがりのネットサーファーにも批判されましょう。

私のやることは、純粋に自分はこう思った、だけです。似た感想があろうが、出典や影響があることはこれからも隠さないし、評論家ではないのだから、適当にエッセーしてみることにしたわけです。コメントは今後も受け付けません。

で、インキネンです。

録音はそこまで良好とは思いませんが(かなり高い評価も見受けましたが)、演奏はスケールがでかく、ベルグルンドやデイヴィスしか知らなかった私には、もう感激の日々です。特に、6番が肝。銀河鉄道の夜がどうのこうのとか、とにかく謎めいたことを指摘される同曲ですが、こんな5番みたいな雄大な曲でしたっけ?終楽章なんて、打楽器の気迫とともに、巌砕ける大迫力で、それでいてしみじみなんですが…。

デイヴィスのSACDは、聴かれましたか?あれよりもさらにパワーのある、そしてオーケストラも秀逸な、素晴らしいライヴ録音です。

買って良かった。

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ベルグルンドのシベリウス [シベリウス:交響曲]

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 パーヴォ・ベルグルンド(ベルリンド)が亡くなった。2012年、氏による三回目のシベリウスの交響曲全集が復刻された頃だった。

 シベリウスの交響曲は、本当に面白い。

 日本で言うと岩手とか東北地方の心象風景と似ている気がするのだが、とにかく音楽が持っている只ならぬ純度、そして透徹した美しさ、というのはちょっと言葉では言い表せないものがある。

 ヘルシンキ・フィルとの二回目の全集が非常に有名で、私もそればかりを聴いて過ごしてきたのだが、ヨーロッパ室内管弦楽団との3回目の全集が最後のシベリウスになっただけに、聴いてみたい、欲しいなあと思っていた。

 いや、この書き方は嘘になる。シベリウスの音楽を聴くたびに、ヨーロッパ室内管弦楽団との新盤をぜひ聴いてみたい、という思いはあったはずだ。

 ヘルシンキ・フィルとの録音は確かに名盤だし、その演奏内容の魅力は北欧の淋しい自然の詩情そのものだ。しかしながら、私にはちょっと体温が高すぎる気がしたのである。

 体温が高い、というのは、熱を帯びている、ということだ。シベリウスの簡素なスコアを御国の団体が演奏すれば、御国の誇りが出てくることだろう。私にはその御国の誇りとやらもシベリウスの高純度な音楽には不要に思われるのだ。

 たとえば、5番の一楽章。コーダに向けて、音楽はいよいよ内省的になり、弦のさざなみが空を漂い、管楽器は木霊のように大気の中を明滅する。

 しかし、そこにはクライマックスに向けて、まだ意思が感じられる。自然賛歌としての共感と愛情が感じられる。シベリウスの音楽はその共感と愛情が不可欠のはずなのだが、それだけではだめで。感情移入するよりは、音の一粒一粒で自然との交信をしなければならないような気がする。

 何だか意味不明な文章になってきたのだが、「シベリウス=北欧の自然」というのも当たっていない。北欧に生きる者の生への感謝と自然賛美、と言うべきだろう。そこにはシベリウスが書いた音楽が、音楽を通り越して自然音にならなければならないほどの純度が求められるのである

 聴きたいなあ、と思っていた最後のチクルスを、タワー・レコードが復刻してくれた。

 ヘルシンキ・フィルとの全集に愛着を持つ向きには、評判の悪いヨーロッパ室内管弦楽団だが、私にはベルグルンドの要求を完全に体現しているように思える。

 オーボエやクラリネットの音色が生々しすぎる、という意見もあるが、私にはそれが純化されたシベリウスの音楽の中でかろうじて宝石のように輝いている人間的な部分のように聴こえる。

 先ほど書いた5番一楽章のコーダは、まさに自然のざわめきと心のざわめきが一緒になったような錯覚を覚える演奏で、金管のバランスにはもはや北欧とかそういうものを超えてしまった響きがある。

 録音もまた美しいと思う。バランス良く、細部まで見通せ、とくにひそやかな部分の音色には心を打たれる。

 シベリウスの音楽はやはり心の純化と自然賛歌なのだ。熱くならずに、共感と愛情を持って、自然音を奏でなければならない。そしてその自然音も、「北欧の自然を知らなければ」などというものではなくて、ただひたすら人が人である前に、生き物として地球の上で生きる命の脈動と呼応するものでなければならないのだ。

 ヨーロッパ室内管弦楽団の演奏は、品が良く、アンサンブルも優秀で、シベリウスの純度の表出という面においては格段に優れている。

 6番も名演だった。これについてはいずれまた。この全集のおかげで、シベリウスが大好きになった、と告白しておきたい。


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