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「軽くなる」ことの芸術 [モンテヴェルディ:歌劇]

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 実は、博士論文を執筆しています。

 完成は今年中のつもりでしたが、なかなか思うように進みません。

 納得がいかないというか、まだ自分が見えていない箇所があるのです。

 勢いとか、気合だけで書くなら、もうとっくに書き終わっています(←本当か)。

 しかし、論文は一生十字架を背負うような意味がありますので、後悔だけは残したくない。

 私が今していることは、抽象的な言い方になるかもわかりませんが、ひたすら「軽くなる」ことです。

 「軽くなる」ことによって、今まで以上に重いものを支え、重いものに耐えることができる。

 小難しい話かもわかりませんが、晩年になると偉大な作曲家達がシンプルな作曲技法によって、音楽の外見をひたすら簡潔に、内面を深くしていくことと似たようなイメージです。

 研究も同じだ、とはけして言えませんが、私は万物のあらゆる創造行為の究極こそ、このような「軽くなる」ことだと思っています。

 モンテヴェルディは、「軽くなる」ことができた天才的作曲家のひとりです。

 彼の創り出す音楽の土台は、時代が時代だけに(バッハよりも一昔前!)、簡潔で、エネルギッシュで、それでいて、神と人間の距離がまだ近い感がある。

 外見がフル・オーケストラのように重厚になるわけはないのですが、たとえば、『聖母マリアの夕べの祈り』のような巨大な音楽と、最晩年の歌劇『ポッペアの戴冠』とを比べると、旋律線や作曲の技法はどんどんシンプルに、それでいて音楽自体の力はますます磨きぬかれ輝き出している。 

 他には、モーツァルト、ベートーヴェン、ショスタコーヴィチ、・・・今はそれくらいしか思いつかない。

 指揮者では唯一、フルトヴェングラーだけ(ひょっとしたら、我らが朝比奈隆もそうかもしれない)。

 アニメでは宮崎駿監督。ひたすら、「子ども」に帰ろうとする行為に似ていなくもない。

 うまく説明できないけれど、彼らはひたすら「原初的なもの」や「軽くなる」ことを追及するアーティストだと思っています。

 無駄を省くことでもあり、万感をこめることでもあり、複雑になることでもあり、簡潔になることでもある「芸術行為」。奥は深い。

 私は、個人的には、芸術的な感性、といったものを(私が持っていればの話ですが)、学問の世界でも、教育の現場でも、日常世界でも、いつもどこかしら矛盾なく息づかせていたいのです。

 くだらない話を申し上げました。

 さて、モンテヴェルディの歌劇『ポッペアの戴冠』は、私の最愛のオペラの一つです。

 愛聴盤は定番である(なんとかディスク大賞受賞という意味合いにおいて)ヤーコプス/コンツェルト・ヴォカーレ盤ですが、もっと他の盤を聴いてみたいと思う。

 ガーディナーも聴いてみたけれど、彼の演奏ってどこか胸に入ってこない。インテリの音楽みたいで。もちろん、ポッペアを歌うマクネアーは妖艶だけれども。

 このような傑作がモーツァルト以前、大バッハ以前に存在していたに深い感動を覚えるものです。

 オペラの内容は演奏について語ろうと思っていたのに、時間が来てしまいました。さよオナラ。

 


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