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ウィレム・メンゲルベルク (cond.) ブログトップ

メンゲルベルク、『マタイ受難曲』 [ウィレム・メンゲルベルク (cond.)]

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2015年11月3日水曜日、17:51。

四年ほど前から、アルツハイマー型認知症を患い、昨年末には膀胱ガンが見つかり、10月2日から入院して闘病していた父が亡くなりました。享年80歳でした。

元気なときは好き放題やり、麻雀、競馬、競輪、パチンコ、消費者金融から借金など、家族に迷惑をさんざんかけ、認知症になってからは介護という形で改めて家族に苦労をかけた父ですが、息子の私としては介護の日々の方が父と向き合う時間、父を支える時間が増え、父にとっても献身的なデイサービスのスタッフの皆さんやお医者さん、看護師さんに囲まれて、陽だまりのような幸せな時間だったと思います。

父の認知症がきっかけで、認知症や医療について学び、またコウノメソッドの医療者にもなりました。高齢者をめぐる社会問題やターミナルケアのことを学びました。そして亡くなったあとの手続きの大変さも含めて、父が結んでくれた様々なご縁があります。

病院で一度危篤になった折、メンゲルベルクの指揮したバッハの『マタイ受難曲』、「憐れみたまえ、我が神よ」が頭の中で鳴り響きました。

タワーレコードの復刻盤は、父が息を引き取った日の翌日に届きました。音質はこれまでのものに比べて、合唱が立体的に聴こえ、また滑らかに美しく響く場面が増えました。独唱も生々しく、何より余計なノイズカットをしていないために、リアルさが伝わります。「あ、このノイズがあるから、フィリップスは音質調整したのかな」なんてわかるくらいです。

古めかしい記録ではありますが、私にとってはやはり宝です。

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Tower Recordによる復刻、メンゲルベルクのベートーヴェン [ウィレム・メンゲルベルク (cond.)]


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私の父は、5、6年前にアルツハイマー型認知症になったが、介護の甲斐もあって穏やかな日々を過ごしてきた。しかし、昨年末、膀胱癌が見つかり
現在は肺に転移、右足の浮腫に苦しんでいる。看取りまで含めた療養病床への転院を考えているところだ。

正直、在宅での介護は、デイサービスを利用していても大変である。そういった精神的、身体的ストレスがあると、音楽にもまともに向き合えない。この数年、CDの数は増えても聴かないものもあり、どうすんのこれ?と呆然としている。

父の余命を聞いてから、脳裏に毎日鳴り響くのは、メンゲルベルクの指揮した「マタイ受難曲」、「憐れみたまえ、我が神よ」というアリアである。ナチスドイツによるオランダ侵攻前夜のライヴであり、すすり泣きや嗚咽が聴こえる曰く付きの記録だ。

バッハを研究されているある学者は、メンゲルベルク盤に対する批判的な言動でも知られるが、私も学者の端くれとしてあえてここで「学問研究と何が名演かは別次元である」と反論しておきたい。

作曲家の書いたスコアや当時の演奏スタイルを研究することは、とても意味のあることだ。しかし、それにより、芸術作品としての演奏記録の価値判断を行うことは、学者の傲慢である。音楽は正しいとか正しくないで聴くのではなく、楽しむもの、人類の大切な娯楽だからだ。

メンゲルベルクのベートーヴェンがタワレコから復刻された。40年代の録音で、モノラル、「エロイカ」を除いてライヴ。音質にはこれまで高域が詰まり気味で、録音年代からすると高音質でも、日常的に聴くにはややストレスがあった。

今回は、高域まで良く抜けていて、情報量もわずかに向上し、このオンリーワンの演奏記録の決定盤足り得ていると思う。

トスカニーニのような気迫のこもった迫力、不健康なくらい情緒を込めた緩徐楽章、楽譜を変えてまで新しい何かを見出そうとする芸術家らしいスタンス、19世紀ロマンの名残なのかもしれないが、好き嫌いを超えて永遠に遺されるべき宝だと思う。第9、第7、運命、聴いてみたが、ストレスない音質で楽しめた。

次はマタイを、SACDで!

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没になったエントリー:メンゲルベルクの「悲愴」三回目 [ウィレム・メンゲルベルク (cond.)]

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 没にしようか、と思ったエントリーである。2009年8月9日に途中まで書いて、そのままにしてしまった。夏以降、昼夜問わず、本業の学問のほうが忙しく、また新学期が始って、授業準備に追われるという状態であったためである。ビートルズのリマスターに浮かれて、クラシックからも離れてしまった矢先、内省的なシーズンである秋・冬の到来。こんな事情で、復活エントリー。 

 1944年、巨匠ウィレム・メンゲルベルクがパリ放送大管弦楽団に客演し、シャンゼリゼ劇場で公演を行なった。

 この一連の演奏会の多くは幸いなことに録音が残された。しかしながら、その音源は、戦争のドタバタによって失われ、永久にその存在が陽の目を見ることはないだろうとされてきた。

 最近になってから、とある古物市で、この音源が発掘された。長いこと再生されてこなかったために保存状態も良く、音質はアムステルダムでの一連の録音以上に一層鮮明・迫力があり、生々しい。

 戦後のメンゲルベルクは、連合国側の裁判によって、ナチス・ドイツへの協力の咎で戦犯扱いにされ、不遇のうちにその生涯を閉じた。

 メンゲルベルクの芸術の、それも演奏家にとってもっとも大切な、最晩年における深化が記録として残されなかったことはまことに痛恨事であるものの、これらの音源の登場によって、メンゲルベルクのライヴの凄まじさが改めて世に問われることは素晴らしいことではないだろうか。

 写真にあげた盤は、発売された2セットのCDのうちの一つ。

 曲目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、ショパンのピアノ協奏曲第2番(アルフレッド・コルトーのピアノ)、それにメインはチャイコフスキーの「悲愴」である。

 最近、論文の執筆に忙しくて、「音楽なんて聴いている暇ないよー」という感じなのだが(この文章も実は十数日かかっています)、このCDだけは届いてすぐに聴いた。そして感銘を受けた。

 アナウンスも収録されているが、予想以上に驚いたのは、オーケストラの技術力である。メンゲルベルクの指揮に慣れたアムステルダム・コンセルトへボウと違って、楽員のプレイに新鮮さとぎこちなさがあるところが、即興的で良い。

 演奏の印象は1941年のスタジオ録音を幾分良くしたような印象。録音も驚異的に優れており(ただし、音の欠落がある瞬間がある。たとえば、三楽章のクライマックス)、聴衆を前にしたメンゲルベルクの指揮も熱い。

 と言っても、この人のベートーヴェンのような、過激な印象を私は受けない。どこか、堂に入っているというか、どんなにロマンティックにテンポを動かしても、それが全然不自然ではないのだ。

 フルトヴェングラーと同じように、戦後も活躍していれば、きっと大きな遺産が残されたに違いない。歴史にイフ(IF)は禁物なのだから、諦めて眠りにつこう。終楽章の慟哭は、スタジオ録音以上にテンポが遅く、時間も長くなっている。万感の思いが込められているように感じられた。

 ショパンも録音が良い。録音が悪いと楽しめないものだが、こもった印象もないし、音の情報量が多く、フルトヴェングラーの対戦中ライヴと同等か、あるいはそれより若干良い印象。ただし、ダイナミックス・レンジは狭いし、金管や打楽器などの直接的な迫力は弦主体の録音によって感じられない。もっとも、これはメンゲルベルクの解釈なのだろうが。

 コルトーのライヴ録音というのも珍しいのでははなかろうか。こちらもじっくりと楽しむことにしよう。 


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メンゲルベルクのベートーヴェン:交響曲全集を聴く(1)第1番 [ウィレム・メンゲルベルク (cond.)]

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 1番。音質は1940年というのが信じられないほど、驚異的である。ひょっとしたら、フルトヴェングラーの対戦中のマグネトフォン録音よりも良い。彫りが深いのである。特に、打楽器・金管が鮮明であり、弦も分厚く生々しい。

 一楽章序奏部からして、明快かつ豪快な響きで、大らかな音楽が奏でられる。ティンパニの気合の入った一発も、堂に入っている。

 主部のテンポは絶えず変遷。曲想の途中でぐっとテンポが遅くなり、あえかな心の震えを表出する。金管の強奏、弦が自由自在に浮き沈み、ルバートし、ポルタメントがかかり、ロマンティックこの上ない。「歌舞伎役者が見得を切るよう」と評されることもあるメンゲルベルクだが、楽想のどこをとっても、新しい意味を探り出さんとするスコア・リーディングが驚異である。

 二楽章が始るまで随分間が空く。楽章間ノイズもきちんと拾っているために、会場のムードがよくわかる。

 二楽章の流れは意外に涼やかで、けして大味なドラマはない。弦の艶のある流れるような刻みが美しく、音楽は四角四面にならず、澱むことなく流れていく。しかし、根底にあるのは19世紀的なロマンティシズムであり、聴き終わった後の充実感が素晴らしい。

 三楽章はスケールがでかい。打楽器が物凄い響きを立て、金管が炸裂する。一番というハイドンやモーツァルトの影響を色濃く受けた曲から、これだけのドラマを引き出す手腕に畏れ入る。トリオもこってりとしたロマンの世界。古き良き美酒のよう。終結はアッチェレランドがかかり、興奮気味に終わる。

 終楽章は快速テンポでぐんぐん進軍するが、微妙にテンポを落としたり、聴いたことのないようなニュアンスがつくのはメンゲルベルク特有の解釈。直接的な迫力に満ち、豪快なベートーヴェンの笑い声と逞しい精神の光が感じられる。クライマックスなど、ベートーヴェンの後年の交響曲に匹敵する威力である。終結も加速気味に終り、聴衆の拍手も熱狂的である。


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