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カルロス・クライバーの『ばらの騎士』 [R. シュトラウス:歌劇]

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 ようやくカルロス・クライバーがもっとも得意とするレパートリーがCD化された。R. シュトラウスの歌劇『ばらの騎士』。モーツァルト以後のドイツ・オペラの中でももっとも魅力的なオペラであり、クライバーがもっとも精力的だった70年代の録音となれば、もはやこれは名演名盤となることが保証されたも同然だろう。

 もっとも、録音自体はゴールデン・メロドラムからも発売されており、クライバー・フリークには全く目新しいものではなさそうだ。しかしながら、放送局に眠っているマスターからSACDにしたということは大きなメリットであろう。

 カルロス・クライバーが亡くなってから彼の評価が高まっているとは到底思えない。指揮すること自体が珍しく、果たして生きているのか、死んでいるのかさえわからなかった。

 ウィーン・フィルとのベートーヴェンの「田園」のリハーサルでは「僕、この曲がわからなくなった」と言って突然行方不明になったり、同じく交響曲第4番では「テレーゼ、テレーゼと弾いてください」と言って指導したはいいものの、肝心の楽員がまったく理解せず、やはり飛び出してしまう始末。

 好きな歌手としかオペラも振らず、歌手が降板すれば自分もキャンセル、オクラ入りした録音の数は相当なもので、『英雄の生涯』など、発売が予告されながら、発売中止になった。

 極度に神経質で、極度に人嫌い。自分に厳しく、コンサートの前になると狼狽し出して、大変だったとカール・べームが証言している。

 彼は間違いなく天才だと思う。音楽の化身のような身のこなし、指揮振り自体が芸術のようで、バレエでも見ているかのような美しさがあった。あんな美しい指揮は他のどんな指揮者にも出来はしまい。

 ウィーン・フィルのコンサート・マスター、キュッヒルは、クライバーの指揮は極めてわかりにくく、「パッパラパーですから」と述べているが、こちらが見ていても、音楽に合わせて踊っていると誤解しかねないものがある。

 しかし、それが間違いであり、クライバーの指揮が彼一流のアナリーゼと指揮哲学に根ざした完成度の高い技術であったことは、残されたリハーサルや彼を研究する評論家の分析を見ればわかる。

 話が長くなったが、今回のCDは秀逸だ。

 『ばらの騎士』というと、カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団の名盤 (EMI) が好きで、時々父君であるエーリヒ・クライバーが録音したDecca盤を聴くくらい。それだけ、この二盤の完成度は高く、他のCDがいらないのほどなのだ。歌手も粒揃いである。

 カルロスのは前記二盤に比して、もっと音楽に勢いがあり、躍動し、生き生きとしている。楽想はぴちぴちと飛び跳ねるように脈打ち、管弦楽の絡みは思い切って強奏される金管とともに美しく、豪華で、最高に鮮やかだ。

 歌手も素晴らしく、若々しい。初めのうちはいまいちかな、と思っていたのだが、前記二盤と聴き比べたら、クライバー盤が俄然音楽に生命力があることがわかり、驚かされた。カラヤンは悪く言えば、大人しく、のっぺりとしており、エーリヒのはウィーン・スタイルの典型ではあるものの、いささか硬直した感じがする。

 録音状態もバイエルンのベートーヴェンの7番と同じくらいであり、中・低音は大人しいが、聴きにくい音質ではない。

 クライバー好きにも、『ばらの騎士』好きにもお薦めしたい。


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