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新リマスタリングで蘇る!クレンペラー伝説のウィーン・ライヴ(1960年ベートーヴェン・チクルス) [オットー・クレンペラー (cond.)]

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(2015年9月12日改訂、その後ALTUS盤が出て、当盤は座を譲った。ALTUS盤は音源が不明であるが、SACDシングルレイヤーのLP用アナログマスターの音は鮮明で聴きやすいからだ。以下はかつての感想にすぎない。)

 たまには真面目に音楽の話題を。放っておいても、どこかの誰かがレビューしてくれそうですが、たまには率先してこういう「人柱」的な話題を提供しましょう。

 これほど不遇の演奏記録もないでしょう。1960年、手兵フィルハーモニア管とウィーンのムジーク・フェラインザールでベートーヴェンの交響曲を全曲演奏。

 今でも語り草になっているという伝説のライヴ録音であるにも関わらず、まともに聴けるCDがほとんどない。

 CETRAというレーベルから出たものが一番音が良いとされ、ARKADIAやらLIVING STAGEなどのは劣化したコピー音源のような音。最近では、ANDROMEDAが「ごみ」のような音質で発売。

 演奏自体は、ステレオで遺された全集よりも情報量が多く、ライヴならではの活気やテンポの思わぬ揺れなどがあって、クレンペラーの別の姿を映し出している。

 Music and Artsというレーベルから今回新リマスタで発売。以前出ていたものは、擬似ステレオで全く演奏がダルになっていたというから、買う前は躊躇したのだが、トスカニーニの1939年のチクルスなんかも最近は評判が良くて、「お、やっとまともな商売やり出したか?」という興味が湧いて買った。

 買って正解。ANDROMEDAの音質を10%とすれば、100%近い満足度。臨場感、楽器の質感、彫りの深さ、迫力、聴きやすさ、どれをとっても格段の違いがある。CETRAもかくや、と思わせるだけの仕上がり。

 モノラルだけど、これだけ鮮明なら苦にはならない。ワルターの有名なウィーン・フィルとのモーツァルトのライヴ録音があるが、あれ以上のクオリティーで録音されていたわけだ。

 試しに、2番の終楽章とか、7番の終楽章とか、9番とか聴いてみた。初めて聴くような内声部の絡み合いとか、両翼配置によって、楽器同士の奏でる音がエネルギッシュに渦をなしていくような瞬間があり、そこにあの独特の呼吸感、心地よいスロー・テンポがいきるのである。

 2番の終楽章コーダは、相当テンポを変えているけれど、クレンペラーもこんなにドラマティックだったんだなあ。でも、7番は堂々たるもので、ステレオと変わらぬ威厳。うーむ、面白い。

 願わくば、マスター・テープからの音が聴いてみたいが、Testamentが動かない、ということはもう存在していないのかなあ。

 今年上半期、買って良かったで賞の最有力候補となりました。でも、粗探しをすればいくらでも出てくるけどね(楽章間のカット、序曲1曲とヴァイオリン協奏曲が未収録、ノイズをカットしているので、音色感が足りない、など) 。最近のkitakenはそんなに意地悪ではないので、聴けるだけでありがたや、です。良心的な復刻ですよ、これは。

 一応、防御線を張っておくが、「僕の装置では、秀逸に聴こえる」。


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クレンペラーはモーツァルトのオペラが得意なのではあるまいか [オットー・クレンペラー (cond.)]

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 クレンペラーのモーツァルトは良いものがたくさんある。前回のエントリーでは「リンツ」を採り上げたが、二つのト短調も素晴らしい。ことに、40番は一楽章の主題からしてロマンティックな湿り気のある空気が立ちこめ、しみじみとした郷愁が漂う。この世界はメンデルスゾーンのスコッチと全く同じだ。

 あれだけブルーノ・ワルターを批判した人物がこれほどのロマンティックな演奏をするとは・・・。「リンツ」を聴いた後、ヨーゼフ・クリップスの指揮する「リンツ」を聴いてみた(アムステルダム・コンセルトへボウ管)。ニュアンスがより豊富で、ぞくぞくすような魅惑な表情はあるものの、クレンペラーのような若々しい息吹に欠け、むしろ典雅なはずのクリップスの指揮が老獪に感じたのである。

 「彼(=ワルター)はロマンティックに過ぎる。彼はモラリストだが、私はモラリストではない。断じて。」と映像でも述べているが、しかしながら、私にはどこか相通じるものを感じる。それがけして同じ芸術ではないにしても。

 私が一番最初に買ったモーツァルトのオペラのCDは、クレンペラーの『フィガロの結婚』だった。

 遅いテンポで、まるでベートーヴェンのように立派で壮大な序曲からして仰天するが、幕が開くと粒揃いの歌手達の、まるでオラトリオや宗教作品を聴くかのような真摯なアンサンブルに魅了される。

 オーケストラは細部まで心をこめて演奏している。木管の明滅、弦の繊細な表情付け、対旋律の隅々まで浸透した情感の深さ、高らかに鳴り響く金管。一つ一つの音が石庭の禅の世界のように、東洋的な調和の世界に貢献している。

 テンポの遅さは幻想と匂うように濃厚なモーツァルトの旋律美を際立たせる。これはまるで麻薬だ。

 こんな演奏はどんな指揮者にもできはしまい。今後どのような指揮者が現れようと、二度と生まれはしない。

 世評の高いエーリッヒ・クライバー盤、カール・べームのウィーン響盤、ワルターのザルツブルグ音楽祭盤、いずれも名品であろうが、次元がまるで違う。

 クレンペラーのフィガロの世界は、「馬鹿げた一日」を人生に匹敵するほどの叡智で満たしているのだ。

 たとえば、一幕の重唱の真実の美しさの数々、「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」のベートーヴェンの交響曲のようなシンフォニックな厚み、二楽章のスザンナのアリア「お膝をついて」に光る寂寥の涙。レリ・グリストのまるでポップス歌手のような可憐で明晰な美しい歌唱!二楽章のフィナーレのめくるめくような音の絵巻物!

 第三幕も素晴らしい。父と母が発覚する瞬間のマンガチックな泣き笑いの音楽が、ここでは真の人間的なドラマと化す。第四幕のフィナーレの楽しさ、はかなさ、寂しさ、美しさ。

 どれだけ書いても表現しきれない。この盤について教えてくれた宇野功芳氏には心から感謝申し上げなければならない。

 ちなみに、図書館で『フィガロの結婚』の対訳を読んでいるとき、その中で、ディートマル・ホラントという学者はこのように論じていた。

 「さて、《フィガロ》の全録音の中でもっとも奇妙なのはオットー・クレンペラーのスタジオ録音である。傑出した人格者であるこの指揮者に対する尊敬の念からしてひじょうに辛いことなのだが、クレンペラーはここで、一般にモーツァルトの音楽と結びつけて考えられているもの全てを徹底的に排除してしまっている。拍子が鉛の靴をはいたように鈍重に迫ってくる。しかし、驚くほど集中力が強く、しかもアーティキュレーションが正確なので (管楽器!)、《フィガロ》の音楽を今までに一度も本当にきいたことがなかったような気になってしまうのである。だがそれにしても、モーツァルトもまた《フィガロ》で作曲したあの燃えたぎるような革命精神は、完全に姿を消してしまった。クレンペラーが〈恐ろしいばかりの優美さ〉 (Th.マン) を得ようとした結果、革命精神は額縁のガラスケースの中に収められてしまったのである。」

 さて、音楽学者と私の見解は全く異なるわけで、真偽のほどは実際に聴いてみていただかない限り、けしてわからない。音楽はスタイルではなく、形でもなく、どれだけ真実かということに尽きると私は信じる。

 「一度も本当にきいたことがなかったような気に」させる演奏。では私たちはフィガロの何を聴いていたのだ?


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クレンペラーはモーツァルトが得意なのではあるまいか [オットー・クレンペラー (cond.)]

 クレンペラーの名盤。その一枚目はモーツァルトの交響曲だ。

 テンポが遅く、重厚なクレンペラー。そんな指揮者には軽妙で流麗なモーツァルトは似合わないのではあるまいか?しかも、あの哲学者たる風情の顔に、モーツァルトの微笑みが逃げ出すのでは?

 いやいや、なかなかどうして。クレンペラーの真骨頂はむしろ可愛らしく、愛情に満ちて、情緒たっぷりな音楽にこそある。

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 行きつけの中古CD店では、この4枚組みが10000円程度の値段で売っていた。

 そこまでの値打ちがあるか?と問われれば首を傾げよう。

 クレンペラーについてはステレオで録音を残してくれたわけだし、よっぽどひどいリマスタリング(HS2088)でない限り聴く上では何ら問題はない。むしろ、リマスタリングにこだわって、いつまでも初期CDを探す時間のほうが勿体無い。名演奏は手の入るものからどんどん聴こう。

 ただ、初期CDのほうが音に素朴さと温かさを感じることは確かだ。それは気のせいなのだと言われたら反駁することはできないし、するつもりはない。

 さて、このCDにはいくつか後期作品から曲が収められているが、最も素晴らしいのは、36番と40番だろう(それに、25番もいい)。

 36番は「リンツ」という別名を持ち、恐るべき速度書き上げられた交響曲でもある。

 私の愛聴盤はブルーノ・ワルターがステレオでコロンビア響と録音したものだが、その瑞々しさと爽やかさには抗し難い魅力がある。

 クレンペラーのはもっと壮大で重厚な響きがする。オーケストラの厚みが段違いである。しかしながら、ここでの彼はよほど調子が良いのか、けして遅いテンポではなく、むしろ速めのテンポで、しみじみとした情感を通わせた名演奏を繰り広げているのである。

 両翼配置という古いオーケストラの配置によって、立体的な絡み合いが如実に聴き取れ、モーツァルトの天才が嫌が上にも鮮烈に蘇るのである。

 一楽章のずっしりとしているが、湿り気を含んだ情緒たっぷりの柔らかさ、二楽章のどこか心が彷徨っていくような融通無碍の幻想。三楽章の無骨な踊りの楽しさ。何かひなびた懐かしさがある。

 しかし、私が繰り返し聴くのは終楽章。これはまさに傑作で、魔法の泉のようにこんこんと湧き上がる夢幻の曲想にしびれる。

 クレンペラーのどこにこんな若々しさがあったのだろう。流れるように、そして魔法のように音色は変化し、例によって第2ヴァイオリンにモノを言わせる。伴奏が主役とタメをはる、それがクレンペラーの味なのだ。

 それによって音楽は形としての立派さを失わず、フルトヴェングラーのように(語弊はあるが)感覚的にも、ドラマティックにもならない。どこかクールに冷めた理性があって、その中を人間味溢れる木管や伴奏の表情が飛び交うのである。

 録音年代は60年代初期。果たして、クレンペラーの遅いテンポは健康ゆえ、老齢のものではないことを理解されたい。


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人間であることの苦しみを乗り越えた芸術家、クレンペラー [オットー・クレンペラー (cond.)]

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 「お前の好きな指揮者を三人述べよ」と問われれば、第一にブルーノ・ワルター、第二に、ウィルヘルム・フルトヴェングラー、第三にオットー・クレンペラーを選ぶ。

 カール・シューリヒト、ハンス・クナッパーツブッシュ(加えて朝比奈隆)も好きなのだが、やはり自分にとってこの三人だけは欠けてはならない存在だなと、年を経るごとに思う。

 ワルターはいつ聴いても音楽から善の心を感じる。常に温かく、聴く者を優しく包み込んでくれるような慈愛に溢れ、この世にあって音楽とあることの至福をもっとも感じる。

 それに対し、フルトヴェングラーの棒からは「生きるとは何か」、「音楽とは何か」という狂気じみた問いかけと、聴く者を呪縛するような魂の叫びを感じる。最晩年の演奏であろうとも、そこには芸術の厳しさと、「音楽は死ぬことと見つけたり」、とでもたとえられるような壮絶さを感じる。作曲家の心を追体験することは肉体的死を意味する。フルトヴェングラーの演奏芸術は、音楽に同化する営みとも言えるだろう。

 クレンペラーはそのいずれとも違う。彼の演奏は・・・。簡単に説明する言葉が見当たらない。某評論家が書いたように、ベルトコンベアで音が同じ大きさで、同じ形で運ばれてくるようだ、とも解せる。そこから何か意味を見出しなさい、という音楽だ。もちろん、彼にもロマンチックな前時代的な気質があるのだが、その演奏スタイルはワルターやフルトヴェングラーとは異なり、自ずから語りかけることはない。

 音楽には呼吸と、ワビサビの極致のような木管の霊的な響きとがあり、堅牢で壮麗なオーケストラの中からは全ての旋律線がうごめく様が見える。そこには、美しい湖の底に古の巨大な遺跡群を目撃するような、何か新しいものを発見したときに感じる興奮と悠久とが存在する。

 クレンペラーは年をとるごとにテンポが遅くなり、演奏は緻密さを増していった。50年代後半の演奏はまだ味が薄い。この時期に集中的に録音されたのはベートーヴェン。それが残念だ。クレンペラーの真価は、60年のウィーンでのベートーヴェン・チクルス・ライヴであろう(海賊盤のみ)。

 EMIによる正規録音では、60年代から70年代にかけてのものがやはり素晴らしい。鈍重だという人もいるが、私には年々クレンペラーの偉大さがわかるようになってきた。

 変態(好色・素っ裸でスコアを読む・不倫)、実験的な演奏で周囲と衝突、怪我と病気ばかり(脳腫瘍・指揮台から落ちて重態・飛行機の階段を踏み外し大怪我・寝たままタバコを吸って大やけど・躁鬱病)。

 そうした人間であることの苦悩・懊悩・煩悩に悩み、悩みぬき、それを精神力で乗り越えていったクレンペラーの音楽はどんどん深みを増していく。当然のことだ。

 何か仏教の教義の体現者たる風情がある。

 彼には70年代に映像として残されたベートーヴェンの交響曲全曲ライヴがある。今だに日の目を見ていない(衛星放送などでは放送されている)が、このCD化とDVD化が待たれる。

 今回から少しずつ、クレンペラーの芸術について書いてみたい。

 


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