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新版『クラシックCDの名盤』 [書評]

 しばらくの間、エントリーを新たにすることができなかった。

 投稿していた論文が不採用になり、再度書き直して新たな論文を完成させるのに追われていたためである。

 やっと完成させたのも束の間、さらにこれから、もう一つ新しい論文を書き、共同で行なっている研究も本格化しなければならない状態にある。

 それでも書きたいことがたくさんある。まずは、最近読んだ本の書評から。

クラシックCDの名盤(新版).jpg

 『クラシックCDの名盤』の新版である。旧著は初めて福島章恭の名前を知った本であり、中野雄氏についてもその文章を読むことは初めてだった(氏の名前はいくつかのCDのプロデューサーとしての名前でしか知らなかった)。

 今回は曲目が大幅に増加し、推薦盤についても大きな変更がある。これが特筆大書すべき点であろう。何度か読み返し、興味深いところも多々あった。ただし、難点にも気が付く。

 まず、相変わらず、初めてクラシック音楽を聴きたいという人のための本にはなっていない。むしろしばらく聴き込んだ人間にしか興味が持てない内容だろう。曲目紹介のチーフの文章も(三人で分担)、一貫性がないからなおさらだ。最低限これだけの情報は書く、という取り決めができないものか。曲目によっては個人的な経験談や思い入れに終始し、音楽紹介になっていない。

 続いて、CD番号の表記や巻末一覧を削除したこと。これは怠慢以外の何者でもない。今や中古市場で古い盤すら見つけることの可能なご時世である。レコードは再発・廃盤のサイクルが早いからというのが逃げ口上だろうが、これでは具体的にどの盤が「輸入盤で良い音質」なのかが不明瞭。輸入盤といっても、様々な国のプレスが存在するのですが?おわかりでしょうか?

 さらに、宇野功芳氏の文章。

 宇野氏の批評には昔随分お世話になった。学生時代に何度か文通させていただいたこともある。しかしながら、最近の氏の批評や芸術に対する態度には戸惑いと疑念を抱かずにはいられない。

 氏は自身を「怠けもの」と称されているが、ご自身が『レコード芸術』で批評したCDさえもご記憶ないのだろうか。「カエターニはもちろん未聴」、この言葉には呆れて二の口が告げなかった。「最美の曲の最悪演奏」とまで、あのショスタコーヴィチ交響曲全集を比較していたではありませんか・・・(私はちなみに本当に未聴)。どれだけ無責任な物言いかわかって書かれているのであろうか。

 さらに、「9年間程度では推薦盤が変わることはない」と仰られるが、そういうものだろうか。もう何十年も変わっていないのでは?輸入盤をもっと聴くべきだという若手評論家の意見も無碍にしているのが、無責任というか、読み手をバカにしている(→ファンとして、そう思う)。

 福島氏の推薦盤にはいつも満足したことがないのだが、それは氏の音楽観と私が合わないからである。特にベートーヴェン。そう言えば、中野氏の弦楽四重奏批評についても全く受け容れられない。しかしながら、それが悪いというわけではなく、意見を戦わせることが趣旨の本であるのだから、相手の愛聴盤を知ってこちらの考えを練る楽しみがある。

 「こういうものが好きな方もおられるんだな」という感じで、気楽な気持ちで人の好きなCDの感想を読むと、面白いかもしれない。

 この本でご自身のお好きな演奏がクソミソに批判されていたとしても、けっして自分は音楽がわからないなどと思わないでいただきたい。むしろ、人と違う感性を大切に、ご一緒に音楽を楽しみましょう。 


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さようなら、ハリー・ポッター [書評]

HarryPotter.jpg

 ハリー・ポッターとの出会いは、親友から一巻『ハリー・ポッターと賢者の石』をプレゼントされたことによる。

 あの頃は、お世辞にもまともな精神状態とは言えない時代だった。明日も見えない暗澹とした気持ちの中、最近英国で流行している児童向けの小説などと馬鹿にしていた。

 すぐに惹き込まれ、二巻『(ハリー・ポッターと)秘密の部屋』、三巻『アズガバンの囚人』と求めたことが懐かしい。

 特に三巻は内容的にも濃く、それまでの伏線が次々と明るみになり、さらにこの物語が単純な童話ではないことを予感させる秀逸な作品だった。

 そして四巻。『炎のゴブレット』。

 初めて読んだとき、いささか失望した記憶がある。上・下巻という長さ。そしてややこしくなっていく人間関係。しかしながら、今考えれば、この4巻にこそシリーズ最後へと続く大きな布石の数々が隠されていたのだ。

 五巻の『不死鳥の騎士団』は一番興奮した作品だった。混沌と恐怖が広がり、戦いが苛烈を極めていく。そして物語の核心が少しずつ見え始め、大切な存在が死んでいくこと、絶対的な悪が存在することに成人に達した私でも何かを教えられた。

 そして6巻。『謎のプリンス』は今作の大いなる序章に過ぎなかった。

 『ハリー・ポッターと死の秘宝』をおよそ二日かけて読み終えた。

 分厚い本を閉じたとき、快い満足感と得体の知れない胸をえぐるような悲しみと、もう二度と一緒に冒険の旅にでかけることのない友人たちへの別れの切なさに目頭が熱くなった。

 ハリー・ポッターを知らない人や、映画だけでしか見たことがない人には到底わかりっこない深い感動がこの7巻にはある。

 第一巻を読み始めてから10年近い年月、ハリー、ロン、ハーマイオニーは私の同級生であり、同じ寮の寮生だった気さえする。

 彼らとともに怒り、彼らとともに泣き、笑った。

 それもおしまいである。

 

 作者が何を描きたかったのかがわかった。

 それは一人の偉大な人物も最初は平凡な人間であること。

 平凡なただの人間が、深い悲しみ、大きな過失、憎しみを乗り越え、

 偉大な人物へと成長した事実だった。

 ここには誰が望んでもまっとうな英雄はいない。

 皆それぞれにマイナス面とプラス面がある。

 人は弱い。愛する者のために悪にも、善にも染まる。

 そして皆、死を怖れている。

 『ハリー・ポッター』は、死の怖れを乗り越え、運命を受け入れていく勇気ある者たちの物語である。

 その前では、最も邪悪で強力な力を持つ魔法使いさえも、弱さと脆さを露呈する。


 

 私は全巻を日本語訳で読んだが、松岡女史の生き方や姿勢に共感を覚えるとはいえ、訳語に関しては今回「読みにくい」と思う箇所に何度も(今まで以上に)出会った。

 彼女の訳ではなく、プロの翻訳家や文豪に任せれば、また新鮮な感動を得られたかもしれない。

 たとえば、村上春樹などが翻訳していたら、また違った感動を得られたことだろう。

 それでも、いつの間にか引き込まれ、完全とはいえない翻訳にも(むしろ)愛着を覚えるようになった。

 あらかじめ、様々な予想をしていたが、いい意味ではずれ、悪い意味で当たっていたり、予想をすること自体も面白かった。


 この物語こそ、商売目的の対象、映画化などしないで欲しかった。7巻を読んで改めてそう思った。ひっそりと読み続けられるべき作品であり、むしろ大人にこそ読んでいただきたい名作である。

 自分が裸にされ、見透かされていくような不思議な感覚を覚えるだろう。


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