クナのリングはどれを聴くか [ハンス・クナッパーツブッシュ(cond.)]
クナッパーツブッシュ最大の遺産は、誰が何と言おうと、ワーグナーの楽劇『ニーベルング』の指輪である。彼が遺したチクルス録音は全部で3つ。その全てが、当時としては非常に高音質で聴くことができる。このエントリーでは、その3種について総覧してみたい。
56年のライヴはOrfeo D'orから正規盤として2005年に発売された。Golden Melodram盤も評価が良かったようだが、やはりマスター音源からの商品化のほうが健全な感じがする(笑)。
音質はオーケストラの音像がややひっこんでおり、独唱の声が前面に出ている。その点で、クナのスケールの大きな解釈を楽しむには遜色があろう。ただ、年代を考えれば、音質自体はなかなか良く、演奏も絶妙の呼吸間、オーケストラの柔らかい音色がたまらない。有機的に絡み合う楽音!有機的に生成しては盛り上がり、減退していく音の起伏と呼吸が如実に感じ取れるのは、この56年盤である。
しかし、クナの醍醐味である気の遠くなるようなスケールと深遠さは58年ほどには感じられない。音が良いといっても、高音域寄りだし、全体を覆うノイズもある(これは経年劣化か)。
歌手陣もやや劣る。歌い飛ばしやオケとのズレ、特にワルキューレ第一幕終結のヴィントガッセンの信じられないミス!。クナの芸術としての楽想の深い抉りはやはり1958年を待たねばなるまい。
57年のライヴは最近廉価レーベルから『ラインの黄金』、『ワルキューレ』、『ジークフリート』、『神々の黄昏』が分売された。私は未聴。普段はGoldem Melodramで聴くことにしている。
音質は56年盤と比べて格段に良くなっている。何といっても、オーケストラと歌手のバランスが改善されているだけではなく、生々しい彫りの深いオーケストラの表情が如実に味わえるのだ。
クナッパーツブッシュの入魂の指揮ぶりはまことにすごい。黒い情念の塊のようなものがスピーカーから飛び出してくる。この念力のような迫力は57年盤でしか味わえない。この57年盤をもって、クナのリングの最高峰とする意見もよくわかろうというものだ。
ただ、アンサンブルがやや雑であることは否めない。ことに管楽器群。それでも大波に飲まれたような感銘を得られるのがクナたる所以ではあるが。『神々の黄昏』は勢いがあって特に素晴らしく、全曲中で一番感動的かつ、完成度が高い。
クナッパーツブッシュも燃えており、音からはみ出してくるようなエネルギーと迫真性がある。終演後、珍しく自画自賛したそうである。
歌手では、『ワルキューレ』第一幕終結で、ヴィナイがあまり良くない。オケとずれる、ずれる。
総合点が一番高いのは58年盤である。
クナッパーツブッシュの「指輪」全曲を、この鮮明な音で聴ける喜び!58年盤は前記2盤以上に音が良い。
SyuzoさんのHPでこのCDの存在を知ったのは記憶に新しい。一部で不良品も流れたGolden Melodramだが、私は業者にぎりぎりまで迫って正常品と交換できた。モノラルだが、それを感じさせない演奏だ。
管弦楽団、歌手ともしっかりと奥行きを持って音が録れ、耳に心地よい。クナのモノラル・ライヴの中では最高の音質ではなかろうか。
歌手では、何よりホッター、ヴァルナイが素晴らしく、「ワルキューレ」「神々の黄昏」は絶品。56年、57年のチクルスでも歌っているが、完成度は一番高い。やはり、年を重ねて、クナとの呼吸にも慣れ、自らの芸術をも深めていったのであろう。
弛緩しているという評価をある評論家の本で読んだことがあるが、それはクナの深い呼吸を楽しめない人の評価である。アンサンブルも良い(悪いという人もいるが何を聴いているのだろう)。
ちなみに、私の持っているCDは、CDデッキが故障し、CD盤面にひどい傷がついてしまった。もっと安価で良質の復刻が出るのを心待ちにしている。
『ラインの黄金』(ファフナーとファーゾルト登場のティンパニ強打!終結の圧倒的なスケール!)、『ワルキューレ』(第一幕の驚くべき完成度、第二幕のフリッカの名唱、「魔の炎の音楽」の、永遠を思わせるほど気の遠くなる巨大さ!(「ワルキューレの騎行」でのワルキューレたちだけが絶叫調で前年のほうがまだ良い)『ジークフリート』(愛の二重唱の凄さといったら!)の3作はその深い呼吸とうねり、澄んだ情感に彩られ、クナの最後に辿り着いたスタイルとして感動的だ。
『神々の黄昏』はさらに枯れきって、素晴らしい。57年の凄まじい情熱とど迫力はないが、『ジークフリートのラインへの旅』、『葬送行進曲』いずれも気宇壮大。最晩年スタイルとして落ち着いた風格は誰にも真似できない深い感動を約束してくれる。DECCAへ楽劇の数曲をステレオ録音をしてからのライヴだから、もはや解釈として完成されきっているのである。