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モーツァルト:宗教曲 ブログトップ

レヴィン版によるモーツァルトのレクイエムを聴く [モーツァルト:宗教曲]

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あの9.11事件直後のラバディー指揮のライヴ盤、ボストンバロックを振ったパールマン盤。

モーツァルトのレクエイムのレヴィン版は、名盤にことかかない。

前者は慎ましく、ぐっと抑えた表情が感動的だし、後者は快速・爽快なアンサンブルで音楽をリフレッシュしていて、聴くべきものが多い。

特に後者の演奏はいまだに愛着がある。レヴィンが復元した「アーメン・フーガ」の演奏が素晴らしいからだ。

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NCAレーベルから、マインツ・バッハ合唱団とラルフ・オットー指揮ラルパ・フェスタンテ・ミュンヘンによる演奏が登場。

嬉しいことに、SACDハイブリッドである。

まず、独唱者がいずれも素晴らしい。慎ましく、穏やかで、感情を前のめりに出すことなく、何より美声だと思う。ソプラノ、テナーは特に胸に響く。アルトとバリトンは情感があって、演奏全体に温もりを与える存在になっている。四人のアンサンブル、「レコルダーレ」はけだし聴きものである。まじ。

コーラスは録音の鮮明さによって、まるで、全員ソリストのような印象を受ける(つまり大合唱という趣ではない)が、質の高い合唱団のようで、違和感はない。少なくとも、発音はクリアだし、一つ一つの言葉が美しく響くのが良い。

オーケストラは編成が小さいのだろうが、けして物足りなくない。あまり有名な団体ではないかもしれないが、指揮者の要求によく応えていると思う。

その指揮者の解釈というのが、意外にドラマティックなものだ。

ドラティックといっても、テンポを煽ったり、ダイナミクスを余計につけて、自己主張するのではない。

鋭角の効いた鋭い解釈で、純白一色の葬送曲にはしないのである。

「怒りの日」や「呪われし者ども」のあたりは、コーラスに厚みが欲しいとは言え、見通しの良さと透明なアンサンブルが燃えるにしたがって滲み出す強い思いに聞き惚れる。「アーメン・フーガ」は女声が特に美しい。

久々に、モーツァルトのレクイエムを聴いて、大変満足した。手にとる機会が多くなりそうなアルバムである。

最近、ヘレヴェッヘのベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」も聴いたので、そちらの感想もまた。

旧盤よりも演奏が練れて、より説得力のある解釈となったが、老成すれば失われるものもあるわけで、演奏とは面白いものだ。

オットーも再録音すれば、また違った解釈になるのだろうか。

え、レヴィン版って何?ぜひ、ご自身でお調べください^^;


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モーツァルトの美しい宗教曲の数々 [モーツァルト:宗教曲]

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 一年に何回かは必ず宗教曲を聴く。

 今年はふとしたことがきっかけとなって、シュッツの宗教曲を聴いた。マウエルスベルガーの指揮した作品集のうちの一曲である。

 シュッツは「十字架上のイエス・キリストの七つの言葉」という作品が有名で、宇野功芳氏の一連の著作でも頻繁に言及されている。

 私もこの作品は嫌いではないが、個人的には同じアルバムに入った他の曲のほうがずっと美しく、気軽に楽しむことができて好きである。

 宗教曲、といっても何のことはない。ボーイ・ソプラノやボーイ・アルト、少年合唱が好きだというだけだ。歌詞も何もわからなくても、ふんふん~♪と鼻歌をつけながら、聴いてみると良い。天国の花畑で天使と戯れるような清々しい気持ちになる。

 そういえば、宇野功芳氏の本(『宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版』)の中には、モーツァルトの宗教曲についても色々書いてあるな、と久しぶりにぺらぺらとページをめくってみる。

 レクイエム以外にも、モーツァルトは若い頃から小さなミサ曲(ミサ・ブレヴィス)集を何曲も書いている。

 その中では、特に、K.317の「戴冠ミサ曲」が名高い。宇野功芳氏はフェルディナンド・グロスマンのCDが推薦盤としてあげられているけれど、これは聴いたことがないや。

 キリエとアニュス・ディに登場するメロディーは、「コシ・ファン・トゥッテ」や「フィガロの結婚」のアリアに登場する恋のメロディーだし、グローリアやクレドでは簡潔な曲調の中にも、複雑な味わいを残す名品である。アニュス・ディの最後、「神よ憐れみたまえ」とキリエ冒頭の旋律に戻るときは、心にしんみりとした敬虔な思いを残す。

 Kitakenも、少ないながら、何点かCDを持っている。

 一番最初に購入したのは、Londonから発売されたクレオバリー指揮ケンブリッジ・キングス・カレッジ少年合唱団。

 ソリストも少年ならば、なおのこと美しいだろうに、大人の女声を使っている。演奏は管弦楽の響きが一番しっかりとしている。テンポはおっとりとしており、全体にまったりとした印象。水準的な演奏。

 コープマンによる古楽器陣の盤もある。これはオーケストラの響きがすかっとしており、合唱も大人とはいえ、清澄な声を聴かせており、1000円という値段で聴けることもあって、気軽に楽しむことができよう。

 ただし、アニュス・ディの最後「ノービス・パーチェム」の盛り上げは、テンポがせかせかして感心せず。ここはクレオバリーのようにテンポを落ち着かせて旋律の美しさを際立たせるほうが良いだろう。

 大人の合唱が歌ったものでは、カール・リステンパルトが指揮したものが一番良い。ソリストはシュティッヒ・ランダルで、可憐である。テンポもけしてせかつかない。むしろおっとりとしている。そのために、コーダのテンポが速くても、むしろそれが効果的となっている。

 うん、リステンパルト、いいですねー。

 ボーイ・ソプラノとアルトを使ったCDの中では、tower recordが復刻してくれたギレス・ベルガー指揮/ウィーン少年合唱団のものが聴かせる。やはり、少年の声が美しい。天使そのものだからだ。

 原盤はBMGだが、その録音に問題があるのか、ちょっと高音が強いペラペラした録音であり、もっとアナログ的な柔らかい音だったならば、さらに感銘を与えてくれただろう。少年たちも奥のほうに引っ込んでいるような録音。

 私が持っているのはこんな感じだが、どれか一枚と問われれば、リステンパルトかなあ・・・。少年を使ったアルバムでもっと良いものをご存知の方はぜひご教示ください。グロスマンは聴いてみたい。

 他の小ミサ曲の中では、K.65の悲劇的で深遠な作品(モーツァルトが13歳の作品!)、K.259 (キリエの堂々たる清々しさ!朝聴けば元気もりもり!)、K.275(「戴冠ミサ」と比べて地味だが、ソロがものをいうキリエやアニュス・ディが印象的だ)が気に入っている。

 CDはマイナーだということもあって、なかなか見つからない。ケーゲルは聴きたいと思わないし、頼みの綱のペーター・ノイマンによる全集は廃盤になって久しい。残念でならないのだが、たった一点、少年を使った選集が発売されている。それが冒頭の写真である。

 ラインハルト・カムラー指揮によるアウグスブルク大聖堂合唱団(どこにあるの?)の演奏だが、これはなかなか良い。録音も良く、管弦楽もだぶつかず、すっきりとしている。

 ソリストも水準以上の出来栄え。K.275のボーイ・ソプラノは高音が美しいとはいえ、声質が可憐でなく残念だが、テノールと絡むあたりや伸びやかに高らかに歌うあたりは天上的である。

 そして、K.259は非常に魅力的な演奏になっている。こちらは二人のボーイも可憐で、まさに天使のよう。K.275でも歌って欲しかった。

 この水準で「戴冠ミサ」や他の諸曲も録音してくれたら・・・と願わざるをえない。一番良いのは、グロスマンやモラルトといったかつてのアナログ時代の名録音が復刻されることだろうか。


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彼岸への祈り [モーツァルト:宗教曲]

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 気分が落ち込んだときや沈みがちなとき、私はクラシック音楽の中でも「宗教曲」というジャンルの音楽をことのほか好んで聴きます。

 最近ずっと聴いていたのは、モーツァルトの「レクイエム」でした。

 ご存知の通り、モーツァルトはこの曲を書き上げることなく、この世を去った。弟子のジュースマイヤーは師の指示に従って、補筆完成した。これが現在私たちが聴いている一般的なモーツァルトの「レクイエム」です。

 しかしながら、この補筆完成版の不備については古来様々な観点から批判されてきました。 

 ラクリモーサの後半、サンクトゥス、ベネディクトゥスのオザンナ、これらはモーツァルトが書いていたら、とてもこんな音楽にはならなかったことでしょう。そんな思いを抱きながら聴くのはつらいものがあります。

 特にラクリモーサにはモーツァルトが温めていた「アーメン・フーガ」のスケッチが残されており、ジュースマイヤーはそれを全く採用しなかったために、余計に残念な思いが募るものでした。

 モーツァルトの大家とされる往年の巨匠達、ワルターやシューリヒトなどはあの手この手を駆使して、この曲の弱い部分を補うかのような素晴らしい演奏を残していますが、それでも物足りなさがありました。

 現在聴きうる補筆完成版はすでにバイヤー、モーンダー、ランドン版がありますが、その冠たるものはロバート・レヴィンが補筆完成したものです。

 ロバート・レヴィンの目指すところは、私たちが慣れ親しんできたジュースマイヤーの作曲部分をも尊重し、その作曲技法の不備を補うことです。当時の慣習にならって、コンピューターによる復元作業が、ジュースマイヤー作曲の冗長かつ不足の多い部分を洗練させていくのです。 

 たとえば、ラクリモーサは「アーメン・フーガ」を復元し、美しい楽句によってジュースマイヤー版との調和を図った素晴らしい傑作となり、サンクトゥスでは弦の合いの手を18音符の連続から8分音符と32分音符の多彩な伴奏型に変更することで、新鮮な感動を与えてくれるのです。

 特に素晴らしいのは、前述したオザンナのフーガをジュースマイヤー版に比して一気に倍に延ばしていること、アニュス・デイもヴァイオリンを雄弁にし、コーラス・パートの音程を変更するなどすることによって、神秘的で寂寥感に溢れた魂の音楽を完成させています。

 CDはBernard Labadie/Les Violons du Roy/La Chapelle de QuebecのCDが素晴らしい。おそらく、ベルナール・ラバディエ(英語発音ならバーナード・ラバディー)と読むのでしょうが、違ったらごめんなさい。

 この録音は、2001年9月20日にニュー・ヨークで行なわれたライヴ録音です。あの貿易センター・ビルの大きな悲劇の、まさに9日後に行なわれました。彼らはそのような事件が起こることなど考えもよらなかったことでしょう。偶然スケジュールが結びつけたこの因果をどれほど怖ろしく思ったことでしょう。

 演奏はまさに「レクイエム」です。合唱の透明なハーモニー、ソリストたちの心をこめた真摯な歌唱、そしてラバディー率いるオーケストラも静謐で彼岸への祈りをこめた至純の響きを聴かせます。いたずらにテンポを激変させたり、ドラマティックにやろうという箇所は皆無。ただひたすら、真摯な祈りへと昇華していくのです。このような演奏だからこそ、ロバート・レヴィンの補筆も真実の絶唱となって、感動的に響きます。

 ロバート・レヴィンの補筆による「レクイエム」の録音は数多く入手できるようになりましたが、その中でもこの一枚だけは別格という思いがあります。


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