So-net無料ブログ作成

シューリヒトのブルックナー:交響曲第8番~SACD化 [SACD]

BrucknerSchuricht8.jpg

 EMIによる「名盤SACD」シリーズの中で、発売が待ち遠しいものが4つあった。一つはクレンペラーのベートーヴェン「荘厳ミサ曲」、マーラーの交響曲第7番、そして、シューリヒトのブルックナーの交響曲第8番と第9番である。

 クレンペラーのは、初期不良があり、ようやく交換品が手元に届いた。音質は先に発売されたときのものよりも、良くなっている印象だ。EMIはリマスタリングをやり直したのか?あるいは、そもそも使用する音源を間違えていたのか?わからないのだが、以前書いた「最悪のリマスタリング」から「現状ではベストの音質」と呼べるまでになった。記事を訂正したので、ご覧いただきたい。

 SACDをお持ちではない方にとって、CDとどれほどの差があるか眉唾ものであろうと思われる。私もフルトヴェングラーのSACDシリーズがなければ、SACDプレーヤーの導入はしなかったし、それまで一生縁のないものと思っていた。

 SACDとCDの差は、ありていに申し上げれば、「楽器音の自然な音色と生々しさ」 「聴き疲れのしないフォルティシモ」「ダイナミックスの幅の広さ」「情報量の1・2割増しと奥行き感・立体感」ということになるだろうか。CDではどんなに良い音のものでも、特有の艶のようなものがあり、これが人工的な印象を与える。SACDはそれがない、というのが大きな違いということになる。

 ひょっとしたら、シューリヒトの今回の盤は、SACD化の効果に疑問を持たれる方もあるかもしれない。元来、録音のバランスが金管と打楽器が前面に出てくるようで、弦の響きが時に薄くなり、小細工に感じられる瞬間のある音響である。はっきり言えば、こうしたマイナス面は全く改善されていない。しかしながら、スケルツォ冒頭の弦のささやき、アダージョのうねるような弦の歌は、自然さと生々しさを取り戻しており、少なくとも現状ではベストの音質になったのではないだろうか。

 金管なども終楽章冒頭などでは随分ぶっきらぼうに感じられたものだが、SACDではきちんとウィーンの響きがしている。強奏の中にも柔らか味がある、あの味である。

 シューリヒトのこの盤は、今聴くと古めかしい印象がある。ヴァントや朝比奈による自然体の名盤と違い、「私はこう読んだ」というシューリヒトの解釈が目立つ。しかしながら、アダージョだけは永遠の名盤だと思う。この余計な思い入れを排した淡々とした速いテンポの中に、自然詩人のような素朴さと霞を食べて生きるという仙人のような風情を思わせるのだ。

 スターウォーズで言えば、ヨーダなんだろうなあ。

 ちなみに9番のほうは、もっと音質改善が著しかった。最新録音だと言われても信じられるくらいの。8番はそこまではいかなかったけれど、CDと比べれば(地味だけど)しっかりと音質向上しています。


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。